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ネーサン・ファーブ死去、越境写真家が残した街と冷戦と自然の記録

by 黒田 奈々
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ネーサン・ファーブ85年の越境写真史

写真家でマルチメディア作家のネーサン・ファーブが2026年3月26日に死去しました。Legacy掲載の訃報によると、1941年1月18日生まれで85歳でした。ニューヨークのカウンターカルチャー、ソ連シベリアの肖像、アディロンダック山地の風景という一見離れた世界を、ひとりの作家が横断した稀有な経歴でした。

ファーブの重要性は、名作写真集を複数残したことだけではありません。写真、音、映像、展示をまたぐ表現に早い時期から踏み込み、社会批評と精神性の両方を引き受けた点にあります。この記事では、85年の生涯を形づくった転機と、彼が写真史に残したものをたどります。

生涯を形づくった三つの転機

ロウアー・イーストサイドと「Lockport」

ファーブはオクラホマ州コワナ生まれで、後年はアディロンダックを故郷として語りました。公式サイトによれば、1966年に最初のカメラを買い、ニューヨークのロウアー・イーストサイドで撮影を始めます。1967年には、のちに「The Other Summer of Love」と呼ばれる東村の写真群を残し、若い時代の身体感覚と社会の変化を同時に写し取りました。

彼が早くから「写真家」に閉じなかったことも重要です。1971年には、ジュディス・トリーズバーグとの共同制作による政治的マルチメディア作品「Lockport」が、ジョー・パップのパブリック・シアターで上演されました。スタジオに掲載されたA.D.コールマン評は、この作品を単なる外部観察ではなく、地元の若者自身が町を読み解く深い探究として高く評価しています。その後ファーブは、ラトガース大学リビングストン校の実験的学科で写真・マルチメディア教育に携わり、1979年まで教えました。ここに、記録者と教育者、作家と編集者の役割が重なる彼の基礎があります。

ソ連取材と国際的評価

第二の大きな転機は1977年です。米国の文化交流プログラムでソ連に渡ったファーブは、ノボシビルスクで4×5判カメラによる市民肖像を撮影しました。公式サイトによると、この仕事は写真集『The Russians』としてドイツ、フランス、イタリア、オランダ、米国で刊行されました。スタジオの紹介文では、このシリーズの代表作「The Party Chiefs」の大型プリントがMoMAに収蔵され、長年展示されたとされています。

訃報では、彼の作品がMoMA、J. Paul Getty Museum、ナショナル・ギャラリー、フランス国立図書館、ICPなどに入ったことが紹介されています。冷戦期のアメリカ人写真家が、敵対圏の市民を正面から撮り、その成果を国際流通させたことは特筆すべきです。Kinobrigadaが2024年のドキュメンタリー紹介で述べるように、このシベリア取材は後年の再訪にもつながり、単発の歴史的仕事ではなく、長期の対話として結実しました。

晩年の帰郷と遺したもの

アディロンダックで深まった自然観

1981年、ファーブはアディロンダックへ戻ります。スタジオツアーの説明では、娘の重い自動車事故をきっかけに自身を立て直す必要があり、故郷の山や森に深く入り込む時間が増えたとされています。その後20年にわたり、Rizzoliから『The Adirondacks』『100 Views of the Adirondacks』『Adirondack Wilderness』を刊行し、さらにガラパゴスでも書籍制作を行いました。

ここで注目すべきなのは、彼の自然写真が「風景への転向」ではなく、生き延びるための表現だった点です。米国務省のArt in Embassiesは、ファーブが50年以上にわたってアディロンダックを撮り続け、ロマン主義と精密な自然観察を結びつけたと説明しています。つまり晩年の仕事は、政治的関心を捨てた後退ではなく、人間の外側にある大きな時間へ視点を開いた深化だったと言えます。

作品群が示す写真史上の位置

ファーブの業績を振り返ると、街路、肖像、風景、映像、音響、教育の境界をまたぐ点が際立ちます。しかもそれぞれが散漫ではなく、「対象とどう関係を結ぶか」という主題でつながっています。若い頃は群衆の内部に入り、冷戦期には異国の個人へ向き合い、晩年は自然の持続時間へ視線を伸ばしました。

2024年の映画『Nathan Farb and the Cold War』は、こうした全体像を再び可視化しました。ファーブは単なる地方風景写真家でも、1960年代のヒッピー文化の証人だけでもありません。アメリカ写真の周縁と中心を行き来しながら、制度の外側にいる人や場所を粘り強く見つめ続けた作家でした。その意味で彼の死は、一時代の記録者の喪失であると同時に、アナログ的な粘り強さを持つ観察者の不在でもあります。

ファーブ再評価を支えるアーカイブ保存

ファーブの評価で注意したいのは、代表作を一つに絞ってしまう見方です。シベリアの肖像だけ、あるいはアディロンダックの風景だけで語ると、この作家の厚みは失われます。むしろ、複数の時代や媒体をつないだ「移動する作家」として捉える方が実像に近いです。

今後の課題は、スタジオサイトに残るCV、展示情報、回想文、映像作品をどう整理し、公共アーカイブへ接続していくかです。遺族として娘のエスメ・パール・ファーブ氏、ルース・サーゲル氏、そしてパートナーのキャスリーン・キャロル氏が伝えられており、今夏には追悼の集まりも予定されています。再評価は、個別作品の市場価値より、アーカイブの保存と文脈化から始まるべきです。

反文化・冷戦・自然回帰をつなぐ遺産

ネーサン・ファーブの85年は、写真が単なる記録ではなく、社会との交渉であり、精神の回復手段でもありうることを示しました。街路、ソ連、山岳という異なる場所で、彼はつねに「相手の前に立つこと」の意味を問い直していました。

訃報として受け止めるだけなら、彼は多作で越境的な写真家でした、で終わります。しかし作品史として見るなら、ファーブは1960年代以降のアメリカが抱えた反文化、冷戦、自然回帰という三つの潮流を、ひとつの身体でつないだ作家です。その全体像こそが、いま最も読み直されるべき遺産です。

参考資料:

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黒田 奈々

カルチャー・エンタメ

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