NewsAngle

NewsAngle

米最高裁がISPの著作権責任を否定した判決の全貌

by 長谷川 悠人
URLをコピーしました

はじめに

2026年3月25日、米国連邦最高裁判所はインターネットサービスプロバイダー(ISP)の著作権責任をめぐる重要な判決を下しました。Cox Communications対Sony Music Entertainment事件(607 U.S. ___, 24-171)において、最高裁は全員一致でISP側の主張を認め、約10億ドル(約1,500億円)の損害賠償命令を破棄しました。

この判決は、ISPが利用者による音楽の違法ダウンロードに対してどこまで責任を負うのかという根本的な問いに答えるものです。インターネット接続サービスを提供する企業にとって、今後の事業運営を大きく左右する画期的な判断となりました。

事件の経緯と背景

Sony Music らによる提訴

2018年、Sony Musicをはじめとする大手レコード会社・音楽出版社がCox Communicationsを提訴しました。原告側の主張は、Coxの加入者が2013年から2014年にかけて1万件以上の楽曲を無断でダウンロード・配信していたにもかかわらず、Coxがこれらの加入者のアカウントを停止しなかったというものです。

音楽業界側は、Coxが著作権侵害を繰り返す加入者を把握していながらサービスを継続したことは、「寄与侵害(contributory infringement)」に該当すると主張しました。連邦地裁の陪審はこの主張を認め、10億ドルを超える損害賠償を命じました。

控訴審の判断

第4巡回区控訴裁判所は2024年、Coxの寄与侵害責任自体は認めましたが、損害賠償額の10億ドルについては不当として取り消し、賠償額の再審理を命じました。控訴裁判所は「著作権を侵害すると知りながら製品を提供すること自体が、寄与侵害に十分な有責行為である」との判断を示していました。

最高裁の判断内容

全員一致の判決

クラレンス・トーマス判事が執筆した多数意見は、ISPの責任を明確に否定しました。判決の核心は、「一般大衆向けのサービスを提供する企業は、そのサービスが一部の利用者によって著作権侵害に使われることを知っているだけでは、著作権侵害者としての責任を負わない」という点です。

寄与侵害の新たな基準

最高裁は、寄与侵害が成立するための条件を2つに限定しました。第1に、サービス提供者が著作権侵害を積極的に誘発(induce)した場合です。第2に、サービス提供者が著作権侵害に特化したサービスを提供した場合です。

インターネット接続サービスには合法的な利用目的が広く存在するため、Coxのサービスは「侵害に特化したもの」には該当しません。単に侵害行為を知っていただけでは、寄与侵害責任は発生しないと判断されました。

ソトマイヨール判事の補足意見

ソニア・ソトマイヨール判事はケタンジ・ブラウン・ジャクソン判事とともに補足意見を提出しました。Cox側が勝訴すべきという結論には同意しつつも、多数意見が示した広範な法的推論には反対の立場を示しています。この補足意見は、将来の類似事件において異なる解釈の余地を残すものです。

音楽業界とテクノロジー業界への影響

音楽業界にとっての打撃

米国の録音音楽産業は177億ドル(約2.6兆円)規模の市場です。この判決により、音楽業界がISPに対して著作権侵害の責任を追及する道は大幅に狭まりました。レコード会社は今後、個々の侵害者を直接訴えるか、ISPによる積極的な誘発行為を立証するという高いハードルを越える必要があります。

ISP業界への追い風

一方、ISP業界にとっては大きな安心材料です。もし最高裁がSony側の主張を認めていた場合、すべてのISPは利用者の通信内容を監視し、著作権侵害が疑われるアカウントを積極的に停止する義務を負うことになりかねませんでした。この判決は、ISPがいわゆる「コモンキャリア」としての中立的な立場を維持できることを確認するものです。

インターネットの自由への影響

市民自由団体であるACLU(米国自由人権協会)もCox側を支持する意見書を提出していました。もしISPに利用者の監視・排除義務が課された場合、表現の自由やインターネットアクセスの権利が損なわれる恐れがあったためです。この観点からも、今回の判決はインターネットの開放性を守る意義があります。

注意点・今後の展望

今回の判決はISPの寄与侵害責任を否定しましたが、著作権侵害そのものが許容されたわけではありません。個々の利用者による侵害行為は依然として違法であり、権利者は侵害者を直接訴えることが可能です。

また、ソトマイヨール判事の補足意見が示すように、将来的にISPが著作権侵害を「積極的に誘発」したと認められるケースでは、異なる判断が下される可能性もあります。音楽業界は今後、テクノロジーを活用した新たな著作権保護の仕組みづくりや、立法を通じた対応を模索していくことが予想されます。

デジタルコンテンツの流通が加速する中で、著作権保護とインターネットの自由のバランスをどう取るかは、引き続き重要な社会的課題です。

まとめ

米最高裁は、ISPが利用者の著作権侵害を知っていただけでは寄与侵害責任を負わないと全員一致で判断しました。この判決により、約10億ドルの賠償命令が覆され、ISP業界は利用者監視の義務から解放されました。一方、音楽業界は著作権保護のための新たなアプローチを模索する必要に迫られています。

デジタル時代における著作権法の在り方に関心がある方は、今後の立法動向や関連訴訟の行方にも注目してみてください。

参考資料:

長谷川 悠人

米国政治・外交

米国政治の内幕を、ホワイトハウスから議会まで多角的に分析。政策決定のプロセスと日本への影響を鋭く読み解く。

関連記事

米最高裁「シャドー・ドケット」の起源と権力拡大の実態

米最高裁の内部メモ流出により、2016年のクリーンパワープラン差し止めから始まった「シャドー・ドケット」の起源が明らかになった。ロバーツ長官主導で定着した緊急命令は、トランプ政権下で急増し、判事間の公開対立にまで発展。司法の透明性と民主主義の根幹を揺るがす制度的課題を読み解く。

LiveNation独禁評決とTicketmaster体制の行方

米陪審は2026年4月、Live NationとTicketmasterの独占的行為を認定しました。主要会場向けチケット販売と大型アンフィシアター支配をめぐる争点、2024年提訴からDOJ和解案、280百万ドル基金、手数料上限15%の限界、州連合が訴訟を続けた理由、音楽興行業界への波及までを読み解きます。

ライブネーション独占評決で問われる興行と券売り支配の全体構図

Live NationとTicketmasterへの独占評決は、80%以上とされた券売り支配、13件の独占的契約解消、手数料上限15%という司法省和解を同時に読む必要があります。会場囲い込みがどう続き、州訴訟だけが評決まで進んだのか、音楽業界の勢力図変化、ファン負担、今後の規制論点を丁寧に読み解く。

アリート判事の引退観測とトランプの最高裁人事の行方

米連邦最高裁のサミュエル・アリート判事(76歳)に引退観測が浮上している。就任20年の節目と著書出版、2026年中間選挙の政治的タイミングが重なり、トランプ大統領に4人目の最高裁判事指名の機会が訪れる可能性がある。保守派6対リベラル派3の構図を長期固定化する戦略的引退の背景と、後任候補の顔ぶれ、上院の承認プロセスへの影響を読み解く。

最新ニュース

中絶薬ミフェプリストン最高裁再燃、遠隔処方と全米アクセス争点

米最高裁は中絶薬ミフェプリストンの郵送・遠隔処方規制を一時停止した。ルイジアナ州訴訟はFDAのREMS変更、13州の全面禁止、シールド法による越境診療を直撃する。2024年判決の原告適格論と行政国家への司法介入を踏まえ、患者、医師、州政府に及ぶ実務リスクと全米アクセスの行方、今後の焦点を詳しく読み解く。

オルフィン系オピオイドの脅威、米国検査網の死角と地域防衛策を問う

米国でbrorphineやcychlorphineなどオルフィン系合成オピオイドの検出が拡大。フェンタニル検査紙では拾えず、テネシーや中西部で死者が相次ぐ背景、規制回避型市場と検査格差、支援情報から取り残される人々の課題、低所得層や住居不安定層に重なるリスク、地域で必要な薬物チェック・ナロキソン・治療接続を解説。

強いエルニーニョ発生へ、温暖化で変わる世界の豪雨熱波と最新の備え

NOAAは2026年夏にエルニーニョが発生する確率を61%、冬に非常に強くなる可能性を4分の1程度と見込む。気象庁も夏の発生可能性70%を示した。温暖化で海と大気の基準線が上がる中、ENSOの仕組み、春予測の不確実性、豪雨、熱波、台風、農業、経済への影響と日本の気候リスク管理を最新資料から詳しく解説。

AIモデル事前審査へ揺れる米政権とサイバー安全保障政策の境界線

トランプ政権がAIモデルの公開前審査を検討する背景には、AnthropicのMythosが示した脆弱性探索能力と、国防・政府調達でのAI利用拡大があります。規制緩和路線との矛盾、CAISIや英国AISI、EU AI法との違い、企業の競争圧力と日本への示唆も踏まえ、安全保障型AI統治の行方を詳しく解説。

風力タービンは本当にレーダーを乱すのか米国防衛と再エネの論点

米国で風力発電の審査遅延が広がる中、タービンの回転翼が軍事・航空・気象レーダーに与える干渉を検証。DOD、DOE、NOAA、MITの資料を基に、誤検知や探知感度低下の仕組み、FAA審査、ソフト更新や配置変更で管理する現実、トランプ政権下で安全保障論点が政治化する構図、防衛任務と再エネ拡大を両立させる条件まで解説。