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米国の物価高はなぜ終わらないのか、家計を圧迫する五つの構造要因

by 長谷川 悠人
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インフレ率だけでは測れない家計の割高感

米国で「何もかも高い」という不満が消えない理由は、単月のインフレ率だけでは説明できません。2026年9月の消費者物価指数は前年同月比3.7%上昇し、8月の3.4%から再加速しました。しかし、より重要なのは、過去数年の値上がりで形成された高い価格水準が元に戻っていないことです。

家計を圧迫する構造は、累積した物価水準、賃金の遅れ、住宅費、医療・介護費、地政学と関税による新たな供給ショックの五つに分けられます。景気や所得に明るい統計があっても、毎月逃れられない支出が増えれば生活実感は改善しません。このずれが、11月3日の中間選挙を左右する政治問題へ発展しています。

家計を締め付ける住宅・医療・介護の固定費

物価水準と上昇率を分ける視点

インフレ率は「価格が前年からどれだけ速く上がったか」を示し、現在の値札が家計にとって安いか高いかを直接表すものではありません。米労働統計局の指数を比較すると、都市部の総合CPIは2020年9月の260.280から2026年9月の336.940へ上昇しました。累積上昇率は約29.5%です。

したがって、インフレ率が仮に2%へ戻っても、価格が2020年の水準へ下がるわけではありません。値上がりの速度が緩やかになるだけです。幅広い品目の値下がりを意味するデフレを起こせばよいとの議論もありますが、賃金や雇用、企業収益まで縮小させる危険があり、政策目標にはなりにくい選択です。

しかも、家計が感じる物価は平均的なCPIと一致しません。ガソリン、食品、家賃、保険料のように購入頻度が高いものや、支払額が大きいものほど心理的な重みが増します。9月は食品全体が前年比2.5%、家賃を含む住居費が上昇を続ける一方、ガソリンは34.2%上がりました。世帯ごとの支出構成によって、実感するインフレ率は大きく異なります。

賃金が追いつかない家計の余白

2026年9月の民間部門平均時給は37.81ドルで、前年同月から3.0%増えました。ところが同じ期間のCPI上昇率は3.7%です。単純比較では平均的な時給の伸びが物価に0.7ポイント届かず、労働時間が増えない限り購買力が押し下げられる計算です。

雇用環境も、家計が強気になれるほど勢いがありません。9月の非農業部門雇用者数は2万9000人増にとどまり、失業率は4.2%でした。失業率自体は急激に悪化していないものの、雇用増加の鈍化は、転職による昇給や労働条件の改善を難しくします。物価に追いつくための「逃げ道」が狭くなっているのです。

米商務省の8月統計でも、名目可処分所得は前月比0.3%増えた一方、物価調整後の実質可処分所得は横ばいでした。個人消費支出は0.9%増え、貯蓄率は4.1%です。所得が増えても、その増加分が値上がりした商品やサービスへ吸収され、貯蓄に回る余地が限られる構図が見えます。

この状態では、景気後退を伴わない「ソフトランディング」が実現しても、暮らしが楽になったとは感じにくくなります。家計に必要なのは雇用の有無だけではなく、税引き後の所得が固定費を上回って増えることだからです。

住宅費と高金利が移動を阻む構造

住宅は、物価問題のなかでも調整が最も遅い分野です。2026年10月22日時点の30年固定住宅ローン金利は平均7.32%でした。住宅価格が高いまま金利も7%台にあるため、新規購入者は物件価格と借入費用の両方に圧迫されます。

一方、過去の低金利時代に住宅を購入した所有者には、低い固定金利を手放したくない事情があります。転居すれば現在の高金利でローンを組み直す必要があるため、売却を控えやすくなります。その結果、中古住宅の供給が細り、需要が鈍っても価格が下がりにくい「ロックイン」が生じます。

国勢調査局によると、住宅ローンを抱える所有者の月間住宅費中央値は2024年に2035ドルへ上昇しました。所得に占める住宅費の中央値は21.4%です。賃貸住宅でも、光熱費を含む家賃中央値は1487ドルとなり、所得の31%を占めました。

全国平均は、都市や所得階層による差も覆い隠します。家賃負担の重い若年層は、購入資金を貯めにくいうえ、高金利で持ち家への移行も阻まれます。住宅費の上昇は毎月の可処分所得を削るだけでなく、就職や結婚、子育て、地域間移動の選択まで制約する問題です。

医療・介護費に潜む見えにくい大口負担

医療費は毎週支払う商品ではないため、日常の物価議論では見落とされがちです。しかし、保険料は給与から自動的に差し引かれ、受診時には免責額や自己負担が発生します。2026年の雇用主提供型家族保険では、労働者本人の年間保険料負担が平均7471ドルとなり、前年から621ドル、約9%増えました。

約1億5700万人の現役世代が雇用主提供型保険に依存しています。保険料が上がれば企業も人件費の一部として負担するため、昇給や採用余力を間接的に抑える可能性があります。家計が給与明細で認識する負担と、企業が報酬として支払う総額の双方に影響する点が特徴です。

高齢者にも同じ圧力があります。2026年のメディケア・パートB標準保険料は月202.90ドルと、前年より17.90ドル上昇しました。年間免責額も257ドルから283ドルへ引き上げられています。年金など固定収入への依存度が高い世帯ほど、この増加を吸収しにくくなります。

さらに、長期介護には公的医療保険で埋まらない大口負担があります。CareScoutの2025年調査では、介護付き住宅の全米中央値は年7万4400ドル、介護施設の個室は年12万9575ドルでした。在宅の非医療介護も週44時間の利用で年8万80ドルです。これは通常の消費物価上昇を超え、家族の資産や就労そのものを揺さぶる規模です。

連邦準備制度理事会の家計調査では、成人の26%が費用を理由に過去1年間の医療支出を見送りました。支払いを先延ばしにすれば、統計上の当月消費は減っても、健康悪化による将来費用は増えかねません。医療・介護の「買わずに済ませる」対応には限界があります。

ガソリン高と関税が起こす第二波の物価圧力

イラン戦争から給油所へ及ぶ価格連鎖

2026年9月のCPIは前月比0.6%上昇し、その半分以上をガソリン価格の上昇が占めました。ガソリンは1カ月で9.1%、前年同月から34.2%上昇しています。エネルギー全体も前年比20.4%上がり、落ち着きかけていたインフレを再加速させました。

背景には、イランをめぐる戦争と中東の輸送混乱があります。米エネルギー情報局によると、9月の北海ブレント原油は1バレル平均114ドルと、8月より23ドル上昇しました。中東の石油施設やタンカーへの攻撃、ホルムズ海峡周辺の輸送制約、保険料と運賃の上昇が重なっています。

米国内の9月平均小売価格はガソリンが1ガロン4.35ドル、ディーゼルが6.29ドルでした。ディーゼル高はトラック輸送、農業、建設、配送サービスを通じ、燃料を直接購入しない消費者にも波及します。エネルギーは一つの品目であると同時に、ほぼすべての商品価格に組み込まれる中間投入費用です。

エネルギー情報局は、中東からの輸出経路が回復すれば2027年の原油価格は低下すると予測しています。ただし、2026年第4四半期の生産停止量を日量450万バレルと見込み、在庫の回復にも時間がかかるとしています。停戦や輸送再開は家計負担を下げる有力な材料ですが、米国内の金融政策だけでは実現できません。

関税転嫁がもたらす消費者負担

もう一つの供給側要因が関税です。関税を納めるのは輸入業者ですが、最終的な負担は販売価格の上昇、企業利益の減少、賃金や取引価格の抑制という形で分配されます。外国企業が全額を吸収するとは限らず、輸入部品を使う米国内企業も影響を受けます。

議会予算局は、2025年に導入された広範な関税が輸入消費財と中間財の価格を押し上げ、2026年もPCE物価上昇率を高止まりさせると分析しています。同局は、関税が家計の購買力と実質投資を減らし、関税がなかった場合と比べて実質GDPを押し下げると見込んでいます。

関税には、国内産業の保護、供給網の再編、歳入確保、外交交渉の手段という目的があります。しかし、生産拠点の国内移転には工場建設や人材育成が必要で、短期間では輸入価格上昇を相殺できません。関税収入が政府へ入る一方、値上がりは日用品を購入する家計へ先に到達します。

一律の関税撤廃も万能策ではありません。エネルギー、住宅、介護など国内供給の制約を直接解消できず、戦略産業への影響も検討する必要があります。品目ごとの免除、同盟国との供給網構築、競争政策を組み合わせる設計が問われます。

平均値の陰にある所得階層別の格差

明るい統計が存在することも事実です。2025年の実質世帯所得中央値は8万7460ドルと過去最高になり、公式貧困率は10.2%へ0.5ポイント低下しました。これだけを見れば、多くの世帯の生活水準が改善したように映ります。

一方、税と給付を反映する補完的貧困指標は13.1%で、前年から統計的に有意な改善がありませんでした。所得分布の上位10%では所得が増えましたが、下位10%では有意な変化が確認されていません。平均や中央値が上向いても、余裕の少ない世帯へ利益が均等に届いたわけではありません。

連邦準備制度理事会の調査では、経済的に「問題なくやっている」または「快適に暮らしている」と答えた成人は73%でした。しかし、9割超が物価上昇を何らかの懸念とし、低所得層、若年層、黒人成人の経済的安定度は低下しました。全体の安定と特定層の悪化が同時に起きています。

同調査では、16%が直近1カ月の請求をすべて支払えず、現金や翌月に完済するカードで400ドルの緊急支出を賄える人は63%でした。所得が貧困線を上回っていても、突然の自動車修理や医療費を吸収できない世帯は珍しくありません。

「アフォーダビリティー」は貧困だけを指す言葉ではありません。生活必需品を支払った後に、貯蓄、教育、住宅購入、老後準備へ回せる余裕があるかという問題です。そのため、貧困率の改善と生活費への強い不満は矛盾しません。

物価問題が中間選挙を動かす構図

10月8~12日に実施されたAP-NORC調査では、有権者の85%が経済、84%が生活費を中間選挙の重要争点に挙げました。医療は69%、イラン戦争は64%です。生活費への関心は、移民や犯罪、人工知能、文化的争点を上回りました。

同じ調査では、共和・民主両党の有権者を含む約8割が、次期議会の最優先課題の一つに生活費の引き下げを選んでいます。KFFの調査でも、候補者が生活費を語ることを「極めて重要」とした有権者は62%、医療費では47%でした。

これは現職政権に厳しい構図です。トランプ政権は関税を産業政策、イラン戦争を安全保障政策として正当化できますが、有権者は給油所や保険料の値札を通じて政策を評価します。外交・通商上の便益が長期的であるほど、選挙前に生じる家計負担との時間差が大きくなります。

民主党にも簡単な処方箋はありません。給付拡大は家計を直接支えますが、財源を欠けば需要や財政赤字を通じて別のインフレ圧力になり得ます。住宅供給や医療価格の改革には州政府、自治体、民間事業者との調整が必要で、連邦議会の採決だけでは完結しません。

中間選挙後も続く政策対応の三つの難所

第一の難所は、需要抑制と供給拡大で必要な政策が異なることです。FRBが金利を高く保てば消費や投資を冷やせますが、住宅建設の資金調達費も上がります。インフレ対策が住宅供給を細らせ、家賃や購入費を下がりにくくする逆作用が生まれます。

第二の難所は、効果が表れるまでの時間差です。中東情勢が落ち着けば燃料価格は比較的早く反応しますが、製油所の在庫や小売マージンを経て給油所へ届くまでには遅れがあります。住宅、医療人材、介護施設の供給拡大には数年単位の時間が必要です。

第三の難所は、負担軽減の対象をどう絞るかです。全世帯への一律給付は速い半面、支援を必要としない層の需要も刺激します。住宅税額控除だけを拡充すれば、供給が増えない地域では価格をさらに押し上げる恐れがあります。

政策の実効性を高めるには、短期策と構造改革を分ける必要があります。短期には低所得層への光熱費・医療費支援や、供給不足時の的を絞った関税免除が選択肢です。中長期には住宅の用途規制見直し、介護人材の確保、医療価格の透明化、エネルギー輸送網の強化が欠かせません。

また、物価の原因を一つの政党や政策だけに帰すと、対策を誤ります。2026年の負担増には、過去から累積した価格水準、国内の供給不足、関税、中東の戦争が同時に作用しています。大統領が制御できる領域と、市場・州政府・国外情勢に左右される領域を区別する視点が必要です。

有権者が見極めるべき家計改善の実効性

生活費問題を判断する際は、総合CPIだけでなく三つの指標を追う必要があります。第一は賃金上昇率から物価上昇率を差し引いた実質賃金、第二は家賃・住宅ローン・保険料など固定費の所得比率、第三はガソリンとディーゼルを含むエネルギー価格です。

候補者の公約も「価格を下げる」という言葉だけでは比較できません。誰の負担を、どの制度で、いつまでに軽減するのか、その財源と供給拡大策が示されているかが重要です。関税、給付、減税、規制緩和にはそれぞれ受益者と負担者が存在します。

米国経済は、所得中央値の上昇と貧困率の低下を実現する一方、多くの世帯が住宅、医療、介護、燃料の支払いに追われています。これは統計と生活実感のどちらかが間違っているのではなく、集計値では捉えにくい固定費と分配の問題です。

中間選挙後に問われるのは、インフレ率を下げたと宣言することではありません。実質所得の伸びを確保し、家計が生活必需品を払った後に再び選択肢を持てる状態をつくれるかです。それが「暮らしやすさ」を回復させる政策の基準となります。

参考資料:

長
長谷川 悠人

米国政治・外交

米国政治の内幕を、ホワイトハウスから議会まで多角的に分析。政策決定のプロセスと日本への影響を鋭く読み解く。

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