高級時計投資はポンジだったのかシンガポール訴訟が示す実態と盲点
WatchFund訴訟とポンジ疑惑の焦点
高級時計は近年、単なる嗜好品ではなく「オルタナティブ投資」として売り込まれてきました。なかでもシンガポールの時計専門家ドミニク・クー氏が率いたWatchFundは、時計現物を担保にしながら高い利回りを狙える仕組みとして注目を集めました。しかし現在、そのビジネスは民事訴訟の判決や投資家の告発を通じて、実態への疑念を強めています。
ただし、ここで重要なのは言葉の使い分けです。2024年のシンガポール高裁判決は、WatchFund側に契約違反を認定しましたが、詐欺的な虚偽表示までは認めませんでした。つまり「怪しい」「破綻した」「被害者が多い」ことと、「法的にポンジ・スキームだと立証された」ことは別です。本記事では、WatchFundの仕組み、なぜポンジ疑惑が生じたのか、そして公的資料からどこまで言えるのかを整理します。
疑惑を生んだ高級時計投資の仕組み
高利回りと担保を前面に出した販売設計
WatchFundが広がった理由は、仕組みが一見すると非常に魅力的だったからです。公式サイトには「年率20%」「初日から最大2倍の担保」といった強い文句が並び、時計という現物資産があることで、一般の無担保投資より安全に見えました。さらに、ドミニク・クー氏がオークションハウスAntiquorumで訓練を受けた時計専門家であることや、過去の受賞歴が前面に出され、専門性と信用が演出されていました。
2024年の高裁判決を読むと、訴訟で争われた契約も同様の魅力を備えていました。判決によれば、投資家はWatchFundに資金を出し、その資金で高級時計を取得し、一定期間後にWatchFund側が買い戻す設計でした。買い戻しの条件は二種類あり、ひとつは投資元本に対して最低11%上乗せした価格での再購入、もうひとつは投資コストに対して年10%のプレミアムを加えた「保証価格」での再購入です。ここだけ見ると、時計の値上がり益を取りに行く投資というより、買い戻し約束つきの高利回り商品に近い構造です。
しかも、このモデルには成功体験が先行していました。高裁判決は、複数の原告が本件とは別の過去契約ですでにWatchFund関連商品へ投資していたと認定しています。ポンジ型の疑いが持たれる案件では、初期投資家への一定の履行実績が次の資金流入を呼ぶことが多く、WatchFundでもこの「先に成果を見せる」流れが信用形成に使われた可能性があります。もっとも、ここは注意が必要で、過去に履行実績があること自体はポンジの証拠ではありません。あくまで疑念を強める背景事情です。
裁判で明らかになった契約上のほころび
民事訴訟の原告は、2018年から2019年に香港の投資家らが締結した契約をめぐり、買い戻し不履行などを主張しました。高裁は2024年4月30日、WatchFund HKに対し契約違反を認定し、原則として具体的履行を命じています。一方で、虚偽表示や過失による不実表示については、原告側が事実の虚偽と損害を十分立証できなかったとして退けました。つまり裁判所が公に認めたのは、まず「約束どおり買い戻さなかった」という契約違反です。
それでも疑惑が消えなかったのは、判決文のなかに運営実態への不安材料が並んでいるからです。たとえば判決では、2019年8月から9月にかけて、WatchFund HKの法人銀行口座から約200万シンガポールドルがドミニク・クー氏の個人口座へ移された事実が記載されています。また、投資家側とWatchFund側のあいだでは、買い戻し手数料を誰がいつ払うのか、なぜ法人ではなく個人口座への送金を求めるのか、時計返却の手配を誰が担うのかをめぐって対立が起きていました。
この種の資金移動だけで直ちに詐欺と断定はできません。しかし、投資家の資金、時計現物、買い戻し代金、販売手数料が一人の専門家の信用と裁量に強く依存していたことは読み取れます。しかも時計という資産は株式のように日々の市場価格が透明ではなく、個別モデルごとの希少性、付属品の有無、状態、売却先ネットワークで値付けが大きく変わります。ここに専門家依存と情報の非対称性が生まれ、外部からの監視が難しくなります。
ポンジ認定との距離と制度上の課題
どこまでが立証済みでどこからが推測か
ポンジ・スキームの典型は、新規投資家から集めた資金で既存投資家への「利回り」や払戻しを回す構造です。SECの説明でも、その核心は本当の利益ではなく後続資金で見せかけの収益をつくる点にあります。WatchFundについて、現時点で公に確認できる一次資料は、この構造を明示的には認定していません。高裁判決も、契約違反は認めつつ、詐欺的虚偽表示の成立までは認めませんでした。
そのため、「WatchFundはポンジだった」と断定するのは現段階では行き過ぎです。一方で、ポンジ案件に頻出する赤信号が複数見えるのも事実です。具体的には、高い固定的リターンの約束、専門家の人的ネットワークへの過度な依存、価格評価の不透明さ、運営会社と個人の資金の境界の曖昧さです。公式サイトは末尾で「投資元本を全額失う可能性」も明記していましたが、表の訴求は高利回りと担保性でした。この二層構造が、投資家に安全感を与えつつ、実際のリスク把握を難しくしたとみられます。
規制の外縁にあるコレクティブル投資
もう一つの論点は、こうした商品が通常のファンド規制の外側に見えやすいことです。シンガポールでは、一般的な集団投資スキームはMASのOPERAやCISNetなどの枠組みで開示・通知が行われます。金融機関も公的ディレクトリで確認できます。これに対し、WatchFund型のモデルは、時計ごとの個別契約と買い戻し約束を使うことで、表向きには「時計売買」と「投資」が混ざった曖昧な形を取りやすいのが特徴です。
ここから先は資料からの推論ですが、まさにこの曖昧さが制度上の盲点になった可能性があります。投資家は時計現物があるから安全だと感じやすく、運営側は投資商品ではなく高級時計の取得支援や再販売仲介だと説明しやすいからです。しかし、実態として投資家が期待していたのが時計を愛でることではなく、一定利回りつきの買い戻しであったなら、リスクの本質はコレクションではなく信用リスクにありました。
契約不履行とポンジ認定の境界
この案件を読むときに最も避けたいのは、民事上の契約不履行と刑事上の詐欺、さらにポンジ認定を一つにまとめてしまうことです。現時点で公開資料が示しているのは、WatchFund HKが契約に違反したという司法判断と、運営実態に不安を抱かせる資金移動や手続き上の混乱です。これだけで「新規資金で旧投資家に払っていた」とまでは言えません。
ただし、今後もし別の訴訟、破産手続き、会計記録の開示、刑事捜査などで資金の流れが詳しく明らかになれば、評価は変わる可能性があります。高級時計は価格が上がるときには派手に上がりますが、現金化の速度、真贋確認、買い手の厚みは株式市場よりずっと限られます。流動性が細い市場で「年率保証」を掲げるモデルほど、資金繰りが崩れたときの傷は大きくなります。
年10%保証と買い戻し構造の警戒信号
WatchFundをめぐる問題は、高級時計投資そのものの是非というより、「現物資産の魅力」と「固定利回りの約束」が結びついたときに何が起きるかを示す事例です。シンガポール高裁が認めたのは契約違反であり、公開資料だけではポンジ・スキームと断定できません。
それでも、年10%保証や11%上乗せの買い戻し、個人口座への資金移動、専門家依存の強い販売構造は、典型的な警戒信号として十分重いものです。高級時計を投資商品として見るなら、問うべきは「この時計が本当に値上がりするか」だけではありません。誰が価格を付け、誰が買い戻し、どの口座で資金を管理し、出口で現金がどこから来るのかまで確認して初めて、投資としての実像が見えてきます。
参考資料:
- WatchFund scheme investors sue firm and Singapore watch expert Dominic Khoo | The Business Times
- Luxury watch investment firm in breach of contract over timepieces worth S$2.5m: High Court | The Business Times
- Investors in WatchFund luxury timepiece scheme sue S’porean founder and his Hong Kong firm | The Straits Times
- [2024] SGHC 110 | Singapore High Court Judgment
- Home - WatchFund
- SEC Enforcement Actions Against Ponzi Schemes | U.S. SEC
- MAS OPERA Public Portal - View Schemes | Monetary Authority of Singapore
- Financial Institutions Directory | Monetary Authority of Singapore
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