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内在的能力とは何か、健康寿命を測る世界標準の新指標の実力と限界

by 坂本 亮
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健康寿命の測定軸を変える内在的能力

長寿研究の焦点は、単に何歳まで生きるかから、どの能力を保ったまま生きるかへ移っています。その中心にある言葉が「内在的能力」、英語ではIntrinsic Capacityです。WHOは健康な老化を、病気がない状態ではなく、高齢期に本人が価値を置くことを行える機能的能力を保つ過程として整理しました。

背景には人口構造の急速な変化があります。WHOは、60歳以上の人口が2020年の10億人から2030年に14億人、2050年に21億人へ増えると見ています。80歳以上も2020年から2050年にかけて3倍となり、4億2600万人に達する見通しです。医療が長寿を実現した後、次に問われるのは、その長い時間を支える身体と認知の余力です。

内在的能力が重要なのは、血圧や血糖値、診断名だけでは老化の全体像をつかみにくいからです。同じ年齢、同じ病名でも、歩ける距離、食事量、聴力、気分、判断力は大きく違います。この差を測る枠組みが、健康寿命を伸ばす予防医療の入口になりつつあります。

病名では捉えにくい五つの機能領域

歩行と筋力に表れる移動能力

内在的能力は、本人が使える身体的・精神的な能力の総体です。WHOの枠組みでは、移動能力、認知、心理、活力、感覚の五つの領域で考えます。感覚には視覚と聴覚が含まれます。つまり、老化を一つの数字に押し込めるのではなく、生活を成り立たせる複数の機能を同時に見ます。

代表的な例が移動能力です。歩行速度、椅子から立ち上がる力、バランスは、筋肉や神経だけでなく、栄養、心肺機能、痛み、薬剤の影響を受けます。WHOのICOPE関連資料では、腕を使わずに椅子から5回立ち上がれるか、短時間で完了できるかが簡便な確認項目として扱われています。これは単なる体力測定ではなく、転倒、外出頻度、介護リスクに近いサインです。

高齢者医療では、疾患中心の診療が限界にぶつかりやすくなります。糖尿病、心不全、変形性関節症、難聴、抑うつが重なれば、個々の病名よりも「何ができなくなり始めているか」のほうが生活の予測に直結します。内在的能力は、その変化を早い段階で拾うための言語です。

認知、心理、感覚、活力の重なり

認知領域では記憶、注意、実行機能が評価対象になります。心理領域では抑うつ気分や意欲低下が見られます。感覚領域では視力と聴力が重要です。聞こえにくさは会話の減少を招き、社会参加、認知、気分へ波及します。見えにくさは転倒や服薬ミスにもつながります。

活力領域は最も定義が揺れやすい領域です。栄養状態、握力、体重減少、食欲、炎症、心肺の予備力などが候補になります。2021年の測定レビューでは、活力と心理の評価方法にばらつきが大きく、標準的な総合スコアはまだ確立途上だと整理されています。2023年のスコーピングレビューでも、53研究のうち測定法や合算方法は不均一で、特に感覚領域が見落とされやすく、活力指標が最もばらつくと報告されています。

ここで重要なのは、内在的能力がフレイルと同じではない点です。フレイルは脆弱性や欠損の蓄積を捉える概念です。一方、内在的能力は、本人の中に残る能力や維持できる能力を前向きに測ろうとします。両者は重なりますが、内在的能力は「できないこと」だけでなく、「まだ支えられる機能」に注意を向けます。

ICOPEが示す地域医療での使い方

短時間スクリーニングから個別計画へ

WHOは2017年に、内在的能力の低下を予防、遅延、回復するためのICOPEガイドラインを公表しました。ICOPEはIntegrated Care for Older Peopleの略で、高齢者の統合ケアを意味します。2025年にはプライマリケアと地域ケア向けのハンドブック第2版も出され、内在的能力の低下を見つけ、社会的支援の必要性を確認し、個別ケア計画へつなげる手順が整理されました。

この枠組みの実用性は、専門医の診察室だけを前提にしていない点にあります。地域の保健師、看護職、介護職、訓練を受けた支援者が、短い質問や簡単な動作確認で低下の兆候を拾います。その後、必要に応じて詳細評価、栄養支援、運動、視聴覚の確認、認知評価、抑うつ対応、服薬整理、住環境調整へ進みます。

フランスのINSPIRE-Tコホートを使った2024年の研究では、603人の高齢者を対象にICOPEスクリーニングの予測力が検討されました。参加者の平均年齢は74.7歳、女性は59.0%です。視覚異常の検出感度は97.2%と高い一方、ほかの領域では42.0%から69.6%にとどまりました。特異度は視覚を除き70%超でした。低コストの入口として有用ですが、万能検査ではないことも示しています。

介入研究も増えています。2023年のランダム化比較試験レビューでは、6740件の文献から25試験が解析され、多領域介入が認知機能、抑うつ、身体機能の指標を改善する傾向が示されました。具体的にはMMSE、GDS-15、SPPBのほか、TUG、歩行速度、椅子立ち上がり、握力、BMIでも改善が報告されています。ただし、栄養状態を示すMNAについてはメタ分析に足るデータが不足していました。

日本のFR-IC Indexと長期予測

日本でも内在的能力を取り込む動きが出ています。国立長寿医療研究センターは2026年2月、フレイルティ評価票「FR-IC Index」を公開しました。これは疾患既往や日常生活活動などを尋ねる35項目の質問票で、内在的能力も評価できるフレイルティ指標として開発されています。非営利目的であれば特別な許可なく利用できる点も、地域実装を意識した設計です。

この流れを支える国内データも出ています。2026年に公表された日本の縦断研究では、65歳から89歳の地域在住高齢者1056人を対象に、認知、移動、活力、視覚、聴覚、心理的ウェルビーイングの軌跡が分析されました。最大17.5年の追跡で、保存群、聴力低下群、身体心理低下群、全般低下群の4パターンが見いだされています。

同研究では、中央値9.8年の追跡中に380人、36.0%が障害を発症しました。保存群に比べ、聴力低下群の調整ハザード比は1.53、身体心理低下群は1.66でした。全般低下群も死亡の競合リスクを考慮した解析で有意なリスク上昇を示しました。つまり、どの能力がどう落ちるかのパターンは、将来の介護リスクを見通す情報になります。

2024年のメタ分析も、内在的能力の低下が複数の不利な健康転帰を予測することを示しました。23論文を統合した結果、低い内在的能力は障害、転倒、入院、死亡、フレイルのリスク上昇と関連していました。報告されたオッズ比は、障害1.84、転倒1.38、入院2.25、死亡1.72、フレイル1.57です。疾患名とは別の早期警告として使える可能性があります。

標準化とバイオマーカー統合の壁

内在的能力は有望ですが、臨床でそのまま使える単一の「老化スコア」が完成したわけではありません。研究ごとに、移動能力を歩行速度で見るのかSPPBで見るのか、認知をMMSEで見るのかMoCAで見るのか、活力を握力で見るのか栄養で見るのかが違います。合算方法も、単純加算、平均、統計モデルなどに分かれます。

このばらつきは、研究比較だけでなく実装にも影響します。自治体の健診、病院外来、介護予防事業、臨床試験で指標が違えば、同じ「内在的能力の低下」という言葉でも意味がずれます。2025年のレビューは、ICOPEの包括的スクリーニングや領域別尺度は有用だが、定量化と標準基準に課題があると整理しています。

もう一つの論点がバイオマーカーです。炎症、代謝、ミトコンドリア機能、エピジェネティック時計など、老化の生物学を測る技術は急速に進んでいます。WHOの臨床コンソーシアムでも、内在的能力の妥当性検証やバイオマーカーが議題になりました。ただし、バイオマーカーは費用、再現性、解釈、臨床転帰との対応が壁になります。高価な血液検査やオミクス解析が、歩行、食事、聴力、気分の低下よりも実用的とは限りません。

むしろ現段階では、内在的能力は「生物学的年齢を当てる装置」ではなく、「支援すれば変えられる機能を見つける枠組み」と考えるべきです。検査で点数を付けるだけでは健康寿命は伸びません。栄養、運動、睡眠、補聴、眼科治療、服薬見直し、社会参加、住環境の改善までつながって初めて意味を持ちます。

公平性にも注意が必要です。WHOは、高齢期の能力差の大きな部分が、人生を通じた有利不利の蓄積に由来するとしています。所得、教育、地域交通、住居、医療アクセスが違えば、同じ内在的能力でも実生活の自由度は変わります。指標を導入するなら、本人の努力不足に見せるのではなく、支援資源を早く届ける設計が必要です。

読者が健診で確認したい三つの能力

内在的能力を日常に引き寄せるなら、まず歩行、栄養、感覚の三点を確認したいところです。以前より歩く速度が落ちた、椅子から立つ動作が重い、意図しない体重減少や食欲低下がある、会話を聞き返す回数が増えた、新聞やスマートフォンの文字が見えにくい。これらは別々の小さな不調に見えて、健康寿命の早期サインになり得ます。

次に、認知と気分を切り離さないことです。物忘れ、意欲低下、睡眠の乱れ、外出減少は互いに影響します。気分の問題を年齢のせいにして放置すると、活動量や食事量が下がり、移動能力まで落ちることがあります。逆に、補聴器、眼科治療、運動、栄養支援が会話や外出を回復させる場合もあります。

内在的能力の価値は、老化を恐れるための点数化ではなく、介入できる余地を早く見つける点にあります。健診や外来で診断名だけを確認するのではなく、歩けるか、食べられるか、考えられるか、聞こえるか、見えるか、気持ちを保てるかを継続して見ることが、長寿時代の実践的な健康管理になります。

参考資料:

坂本 亮

テクノロジー・サイエンス

宇宙開発・AI・バイオテクノロジーなど最先端の科学技術を、社会的インパクトの視点から読み解く。技術と倫理の交差点を追い続ける。

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