制裁下のイラン経済、石油依存を崩した多角化戦略と中国依存の現実
はじめに
イラン経済は長く「石油国家」という一語で説明されがちです。しかし、制裁が長期化した2018年以降の現実は、それほど単純ではありません。原油の販路が絞られ、銀行決済や海運、保険まで制約されるなかで、イランは非石油輸出、近隣国向け取引、国内サービス業、税収拡大へと重心をずらしてきました。
もっとも、その多角化は欧米型の高度化とは異なります。世界銀行は2023/24年度の実質GDP成長率を5%とみる一方、同じ年の平均インフレ率を40.7%と推計しています。成長は続いても、家計は圧迫され、輸出の中身も石油から完全に離れたわけではありません。本稿では、公開資料だけを使って、制裁下のイランが何を増やし、何に依存し直したのかを整理します。
制裁経済の土台変化
石油収入の回復と限界
まず押さえるべきは、イラン経済が石油を捨てたのではなく、石油依存の形を変えたという点です。世界銀行によると、2023年4月から12月までの実質GDP成長率は前年同期比5%で、油田関連部門は16.3%増、非石油部門も3.5%増でした。成長率だけを見ると底堅く見えますが、牽引役の中心に石油とサービスがあった構図は変わっていません。
米エネルギー情報局(EIA)も、イラン経済は中東の産油国のなかでは比較的多角化されているとしつつ、石油・液体燃料の輸出が依然として政府収入の重要な源泉だと指摘しています。イランの石油会社の純輸出収入は2022年に約540億ドル、2023年にも約530億ドルと高水準を維持しました。制裁下でも原油そのものが経済の背骨であり続けたことは明白です。
一方で、その石油収入は政策当局が思うほど安定していません。世界銀行によれば、2023/24年度に実際に入ってきた歳入は予算計画の73%にとどまり、その主因は石油収入が計画の55%しか実現しなかったことでした。輸出量目標の強気設定に加え、制裁回避のための値引き販売が収益を押し下げたためです。石油は稼げても、制裁下では「安く、見えにくく、変動が大きい」収入源に変質していたわけです。
税収拡大と家計圧迫
この穴を埋めたのが、税収とインフレでした。世界銀行は、同じ2023/24年度に税収が計画の90%まで到達したとまとめています。石油が思うように入らない分、国家財政は国内からの徴税と名目成長に頼る度合いを強めました。これは、制裁下で国家が外貨獲得よりも国内からの吸い上げ能力を高めたことを意味します。
ただし、その裏側では国民負担が重くなっています。2023/24年度の平均インフレ率は40.7%、コアインフレ率は40.8%でした。食料と住宅費が主因で、購買力の低下は避けられません。失業率は8.1%と過去最低水準でしたが、これは労働市場の健全化をそのまま示す数字ではありません。労働参加率は41.3%にとどまり、女性参加率は14.2%と極めて低いままでした。表面上の失業率低下と、実際の雇用の薄さが同居していたのです。
この構図は、多角化の評価に直結します。石油収入の変動を税収と内需で補う体制は一応できましたが、持続力は家計の耐久力に依存します。世界銀行は今後数年もインフレ率が30%を上回ると見込んでおり、成長の果実が広く行き渡る構造にはまだ距離があります。
多角化の実態
非石油輸出の拡大
では、イランは何を「石油以外」として売るようになったのでしょうか。中央銀行ベースのデータを集約するTrading Economicsによると、イランの非石油輸出は2023年に437億2300万ドルと過去最高を記録しました。さらにIRICAの数字として報じられた2024年3月21日から12月22日までの9カ月間の非石油輸出は430億ドルで、前年同期比18%増でした。量も増えていますが、中身を見ると単純な産業高度化とは言い切れません。
世界銀行は、2023/24年度の非石油輸出の50%超が石油化学製品とガスコンデンセートだったと指摘しています。つまり、帳簿上は「非石油」でも、実態としては炭化水素の延長線上にある品目が半分超を占めています。IRICAが示した9カ月間の内訳でも、石化製品だけで197億ドルに達しました。イランが作ったのは脱石油経済というより、原油から石化・半製品へと横展開した炭化水素経済です。
それでも、輸出品目の裾野が広がったことは確かです。中国の2024年の対イラン輸入統計では、主力はプラスチック13.4億ドル、鉱石・スラグ類12.3億ドル、有機化学品6.72億ドル、果実類2.95億ドルでした。金属、水産品、アルミ、銅も並びます。原油一本足打法から、石化、鉱物、農産品、半製品を束ねて外貨を稼ぐ形へ移ったことが読み取れます。
ただし、ここにも限界があります。世界銀行はイランの非石油輸出の多くが原材料か半製品で、付加価値が低く、価格変動に弱いと評価しています。高付加価値の機械、ブランド消費財、先端部材へ移れたわけではなく、制裁下で売りやすい品へ輸出を再編した面が大きいのです。
サービス・製造業の耐久力
多角化は輸出だけではありません。国内の成長エンジンとしては、サービスと製造業の比重がむしろ重要です。世界銀行は、2023/24年度の非石油部門成長を3.5%とし、その主因をサービスと製造業の拡大に置いています。特に情報通信サービスは過去6年間、実質で年平均24%成長を続けてきたとされ、ITやギグエコノミーがサービス部門の牽引役になっています。
雇用面でも傾向は同じです。2023/24年度には工業部門の雇用が6.3%、サービス部門の雇用が4%増えた一方、農業雇用は干ばつと水不足で減りました。つまり、イランの多角化は輸出市場の再編だけでなく、国内の就業構造を農業から都市型サービス・工業へ移す動きと重なっています。
この点は見落とされがちです。制裁は外需を削る一方で、輸入代替と都市サービス需要を押し上げました。中国からの2024年の対イラン輸出は89.5億ドルで、機械19.5億ドル、車両16.8億ドル、電機10.5億ドルが上位です。イランは中国製の機械や部品を取り込みながら、国内の製造・流通・修理・サービス網を回す体制を厚くしてきました。自立化というより、中国製サプライを土台にした代替的な産業運営です。
中国と周辺国への再配線
中国向け資源輸出の厚み
制裁下のイラン経済を理解するうえで、中国の位置づけは決定的です。世界銀行の2023/24年度データでは、中国はイランの非石油輸出の最大市場で、金額は約154億ドル、シェアは31%でした。議会調査局(CRS)は、2021年以降のイラン産石油輸出はほぼすべて中国向けだと整理しています。公式の通関統計だけでは見えない原油取引まで含めれば、中国は単なる大口顧客ではなく、制裁経済の事実上の決済・販路インフラになっていると言えます。
ここで重要なのは、公式統計と実態のずれです。中国の対イラン輸入統計では2024年の鉱物性燃料輸入は2921万ドルにすぎません。しかしCRSは、イラン産石油は船舶の付け替え、産地表示の変更、影の船団の活用などを通じて中国へ流れていると説明しています。公式統計に燃料がほとんど出てこないのに、石油輸出の行き先はほぼ中国という組み合わせからは、表の貿易と裏のエネルギー取引が二重構造になっているとみるのが自然です。
同時に、中国依存は輸入側でも強まっています。世界銀行は、イランの輸入の過半がUAEと中国から来ていると指摘しました。中国からイランへの輸出は機械、車両、電子機器が中心で、イラン側は資源・半製品を売り、中国側は設備と工業財を供給する関係が定着しています。多角化が進んだというより、石油制裁の穴を中国中心の非対称な分業で埋めた構図です。
近隣市場と物流回廊の活用
もっとも、イランは中国一本に賭けていたわけではありません。世界銀行は、非石油輸出と輸入の上位3相手国がそれぞれ全体の60%、70%を占めるとしつつ、主要相手には中国、イラク、UAE、トルコが並ぶと説明しています。IRICAの2024年9カ月統計でも、中国、イラク、UAE、トルコ、アフガニスタン、パキスタン、インドが主力市場でした。地理的に近く、決済や物流の抜け道を確保しやすい市場に流れが集中したわけです。
この動き自体は新しくありません。ハーバード大学グロースラボの研究では、2008年の輸出制裁後、イランの非石油輸出の3分の2が制裁参加国以外へ振り向けられたとされます。制裁に直面したイラン企業は、新しい仕向け地に安値で売り込み、数量を増やして生き残りました。現在の近隣国重視や第三国経由の商流は、その延長線上にあります。
ただし、ここにも脆さがあります。世界銀行は、BRICSや上海協力機構への参加は貿易促進を狙ったものの、FATF非加盟と制裁のため効果は限定的だったとみています。物流回廊を広げても、国際金融と保険の壁が厚いままなら、取引コストは下がりません。相手国を増やしても、使える金融インフラが狭いという問題は残ります。
注意点・展望
このテーマでありがちな誤解は、「非石油輸出が増えたから石油依存は終わった」と読むことです。実際には、非石油輸出の多くが石化製品、ガスコンデンセート、鉱物、半製品で、高付加価値の製造業輸出とは性格が異なります。輸出先も広く分散したわけではなく、中国、イラク、UAE、トルコへの集中が続いています。
今後の焦点は三つです。第一に、中国景気や制裁執行の強弱で原油・石化の売値と数量が大きく揺れることです。第二に、高インフレと低い労働参加率が内需主導の安定成長を阻むことです。第三に、水不足や資本逃避、投資停滞が製造業の高度化を止めることです。世界銀行は2024/25年度から2026/27年度の平均成長率を2.8%と予測しており、制裁下の多角化は延命策としては機能しても、飛躍の土台としてはなお弱いと言えます。
まとめ
イランは制裁によって石油国家であることをやめたのではなく、石油収入を値引きと迂回で維持しながら、石化、鉱物、農産品、サービス、近隣国取引へと経済の重心を横に広げました。国家財政は税収依存を強め、企業は中国と周辺国に商流を張り替え、国内ではITと都市型サービスが雇用を支えています。
その一方で、非石油輸出の中身はなお低付加価値で、中国依存もむしろ深まりました。制裁下のイラン経済を「崩壊」だけで見るのも、「自立成功」だけで見るのも正確ではありません。実態は、石油依存を残したまま販路と品目を組み替えた、制約下の適応経済です。この視点を持つと、今後の中東情勢や追加制裁がイランに与える影響も、より立体的に見えてきます。
参考資料:
- Islamic Republic of Iran | World Bank Group
- Iran Economic Monitor, Spring 2024: Sustaining Growth Amid Rising Geopolitical Tensions
- Country Analysis Brief: Iran
- Iran’s Petroleum Exports to China and U.S. Sanctions
- EU sanctions against Iran
- Sanctions and Export Deflection: Evidence from Iran
- Iran non-oil exports hit $43 billion in 9-month period: IRICA
- Iran Non Oil Exports
- Iran Exports
- China Imports from Iran
- China Exports to Iran
- Iran Imports from China
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