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映画バットマン&ロビン再評価の理由キャンプ都市ゴッサムは早すぎた

by 黒田 奈々
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「最悪のスーパーヒーロー映画」2020年代の再評価の構図

1997年公開の『Batman & Robin』は、長く「最悪のスーパーヒーロー映画」の代名詞として扱われてきました。バットスーツの乳首、Mr. Freezeの寒いダジャレ、ネオンまみれのゴッサム、やたらと大きい彫像群。暗い犯罪都市と心理劇を期待する観客から見れば、悪趣味な脱線に見えたのは自然です。実際、この作品の後、実写バットマン映画は2005年の『Batman Begins』まで止まりました。

ただ、2020年代に入ってからこの映画は別の読み方をされ始めています。失敗作であることは変わらなくても、失敗の仕方があまりにも一貫していて、むしろ独自の美学として見えてくるからです。本稿では、『Batman & Robin』が当時なぜ拒絶されたのか、なぜ今は一部で再評価されるのか、そして「再評価」と「名作化」はどう違うのかを整理します。

なぜ1997年には失敗作として受け止められたのか

興行は即死ではないが 期待を大きく下回りました

まず確認したいのは、この映画が公開初日から完全に見放されたわけではないことです。Box Office Mojoによると、製作費は1億2500万ドルで、オープニング週末は4287万ドル、世界興収は約2億3820万ドルでした。数字だけ見れば大惨事とまでは言えません。しかし問題は失速の速さです。2週目には大きく落ち込み、長期シリーズとしての勢いを維持できませんでした。高コストのフランチャイズ映画としては、期待外れという評価が妥当でした。

BFIも『Batman Begins』の紹介で、Christopher Nolan版が「Joel Schumacherのキャンプで広く嘲笑された『Batman & Robin』後に、評判の落ちたフランチャイズを救った」と整理しています。つまり『Batman & Robin』は単独作品の失敗にとどまらず、「次に何を作るか」を変えてしまった作品でした。以後のバットマン映画が極端にリアル志向へ振れたのは、反動として理解するとわかりやすいです。

失敗の背景には スタジオ主導の肥大化がありました

Joel Schumacher本人は2017年のVice取材で、ファンを失望させたことを謝罪しつつ、本心では続編を作るべきではないと感じていたと振り返っています。Vanity Fairや各種インタビューまとめによれば、Schumacherは前作『Batman Forever』後の成功の勢いと、Warner Bros.の期待の中で続投を引き受けたと語っています。ここには、作品の統一的な必然というより、フランチャイズを止めないこと自体が優先された事情が見えます。

George Clooneyもこの作品を繰り返し「terrible」と呼んできました。2025年のPeople取材でも、『Batman & Robin』が自身のキャリア最大の失敗であり、作品選びを見直す転機だったと語っています。俳優も監督も擁護しない映画は珍しくありませんが、この作品の場合、当事者たちの自己批判が作品の悪名を補強してきました。

さらに当時のバットマン像とのズレも大きかったです。Tim Burton版が築いたゴシックで陰鬱な路線の後に、Schumacher版は玩具的な色彩、巨大セット、過剰な身体性へ振り切りました。観客の多くは「コミック調の誇張」ではなく「子ども向けへの劣化」と受け止めたのです。

なぜ今は見直されるのか

キャンプとして見ると 失敗ではなく過剰な統一性が見えてきます

再評価の中心にあるのは、「この映画をNolan的なリアリズムの失敗として見るのではなく、キャンプ映画として見るべきだ」という考え方です。them.usは、優れたスーパーヒーロー物語はしばしばキャンプ性を含んでおり、『Batman & Robin』は現実の複雑さより誇張と人工性を前面に出した作品だと論じました。Screen Slateも、1990年代のバットマンはクィアな遺産の一部であり、Schumacher版のけばけばしさは欠点であると同時に個性でもあると評価しています。

実際、この映画の世界観は妙に首尾一貫しています。Mr. Freezeのダジャレも、Uma Thurman演じるPoison Ivyの芝居がかった誘惑も、街を埋め尽くすネオン彫像も、すべてが「本物らしさ」ではなく「漫画とショーの人工性」を選んでいます。だから一つひとつを切り出すと悪趣味でも、全体として見ると驚くほど迷いがありません。現代の観客は、そこに失敗というより過剰な徹底を見出しやすくなっています。

クィア読解とポップ美術としての価値が上がりました

再評価のもう一つの軸はクィアな読みです。Cinemablendは2024年、この映画が長年ジョークの対象だった一方で、LGBTQ+の観客にとっては独特の解放感を持つ作品でもあったと書いています。バットマンとロビンの関係性、身体を誇張するコスチューム、性差を演劇的に拡大する演出は、現代の視点では単なる悪趣味でなく、キャンプとクィア表象の歴史に接続されます。

この点は、後年のバットマン像との比較でよりはっきりします。Nolan以降の映画は重厚で説教的な方向へ進みましたが、その反動として、シューマカー版の「深刻ぶらない派手さ」が新鮮に見えるようになりました。特に現在のスーパーヒーロー疲れの時代には、何でも現実政治の寓話にせず、都市そのものを巨大な舞台装置として見せる映画はかえって希少です。

「名作化ではない」再評価が拾い出す3つの表現資産

ただし、再評価をそのまま「実は名作だった」と言い換えるのは雑です。脚本の整理不足、Clooney版ブルースの薄さ、アクションの単調さなど、当時の批判の多くは今見ても妥当です。『Batman & Robin』は、巧みに制御された傑作キャンプというより、商業フランチャイズの圧力の中でキャンプ美学が暴走した映画と考える方が実態に近いです。

それでも価値はあります。第一に、バットマンというキャラクターには元来キャンプと誇張の系譜があり、Schumacher版はその線を極端な形で可視化しました。第二に、失敗作の中にも後の時代が拾い直す表現資産があることを示します。第三に、フランチャイズ映画が常に「より暗く、より現実的に」進む必要はないと教えてくれます。

今後この映画がさらに見直されるとすれば、単なるネタ映画としてではなく、1990年代末のハリウッド、玩具連動型ブロックバスター、クィアなキャンプ美学、そしてBatman像の振れ幅を示す資料として位置づけられるはずです。笑われた作品が残るのは、たいてい何かをやりすぎたからです。『Batman & Robin』は、その「やりすぎ」の輪郭が異様に鮮明でした。

批判を維持しつつ、人工性とクィア性で読み直す新評価軸

『Batman & Robin』は、公開当時には高額シリーズを失速させた失敗作でした。数字上は完全崩壊ではなかったものの、評判の悪さがフランチャイズの方向転換を決定づけました。SchumacherとClooney本人の謝罪も、その歴史を補強しています。

一方で今の再評価は、過去の批判を否定するものではありません。むしろ、あのけばけばしさ、人工性、クィアな気配、玩具的な都市美術を、別の評価軸で読み直しているのです。『Batman & Robin』は「良い失敗作」ではなく、「失敗したからこそ面白い、しかも妙に一貫した映画」として生き延びています。

参考資料:

黒田 奈々

カルチャー・エンタメ

エンタメ・アート・スポーツを横断的にカバー。ポップカルチャーの潮流とビジネスの交差点から、文化の「いま」を切り取る。

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