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妊娠中の職場配慮はなぜ浸透しないのか米国新法施行3年後の制度課題

by 村上 詩織
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PWFA発効2年10カ月後の職場摩擦

米国では、妊娠中の労働者が椅子に座る、水を飲む、追加の休憩を取るといった基本的な配慮を求めても、長く「前例がない」「休職してほしい」と扱われる場面が続いてきました。これを改めるためにできたのが、妊娠・出産・関連する医療上の事情に対して合理的配慮を義務づける連邦法、Pregnant Workers Fairness Act、略してPWFAです。法律は2022年12月29日に成立し、2023年6月27日に発効、EEOCの最終規則は2024年6月18日に施行されました。

2026年4月15日時点でみると、成立からは約3年4カ月、発効からでも約2年10カ月が経っています。それでも現場では、座るためのスツール、食事や水分のための短い休憩、立ち仕事の中断といったごく基本的な配慮をめぐる紛争がなお続いています。この記事では、PWFAが何を変えたのか、なぜ運用が追いつかないのか、そして企業や行政の次の焦点がどこにあるのかを整理します。

新法が持ち込んだ最低基準

比較法理から配慮請求権への転換

PWFA以前も、米国には妊娠差別を禁じる仕組みが存在しました。ただ、旧来の枠組みでは、妊娠中の労働者が他の負傷者や障害のある労働者と同等に扱われているかを争う場面が多く、目の前で必要な配慮をすぐ確保するには使いにくい面がありました。A Better Balanceが2024年に公表した報告書でも、低賃金で身体負荷の高い仕事に就く女性たちが、法的には弱い立場のまま放置されてきた経緯が振り返られています。

PWFAの意味は、妊娠中の労働者に対して「他人と同じ扱いならよい」という発想ではなく、「必要な配慮を受ける権利がある」という発想へ重心を移した点にあります。EEOCのFAQによれば、この法律は15人以上を雇う民間雇用主と州・地方政府に適用されます。さらに、連邦政府や労働組合、雇用仲介にも及びます。州法や市の条例がより手厚い場合はそれらが優先され、EEOCは2026年時点で30を超える州や都市に妊娠中の労働者保護法があると案内しています。

この転換は、現場の交渉力を変えました。A Better Balanceは、PWFA発効後11カ月で約500人からヘルプラインに相談が寄せられ、その大半は低賃金かつ身体的にきつい仕事の女性たちだったと報告しています。ここで重要なのは、同団体が「大多数の相談者は法律上はっきり有利だった」と総括している点です。つまり、制度が弱いのではなく、制度が現場へ十分に届いていないことが問題の中心だと読めます。

「座る・飲む・休む」をめぐる明文化

PWFAの実務上の核心は、EEOCが2024年の最終規則で示した「ほぼ常に認められる単純な修正」です。EEOCの整理では、妊娠中の労働者が求めた場合に、1) 水を持ち込み必要に応じて飲むこと、2) 追加のトイレ休憩、3) 立ち仕事の人が必要に応じて座り、座り仕事の人が必要に応じて立つこと、4) 食事や飲み物のための追加休憩は、ほぼすべてのケースで合理的配慮となるとされています。

これは一見すると小さな変化ですが、実は非常に大きい基準です。なぜなら、妊娠中の職場トラブルの多くは、高額な設備投資ではなく、数分の休憩や椅子1脚、配置の微修正をめぐって起きるからです。EEOCのFAQでも、長めの休憩、水や食べ物の持ち込み、スツールの提供、軽作業化、診察のための休み、出産後の回復休暇などが具体例として挙げられています。法令の文章だけでは伝わりにくかった内容を、現場でそのまま使えるレベルに落とし込んだ点が2024年規則の価値です。

加えて、PWFAは雇用主が妊娠中の労働者を安易に休職へ追い込むことを禁じています。別の合理的配慮で就労継続が可能なら、無給か有給かを問わず、休職をデフォルトにしてはならないという設計です。この点は、低賃金の現場ほど意味が大きいです。短期の無給休職でも家計には即打撃となり、結果として健康と収入のどちらかを諦める構図が生まれるからです。

なぜ基本配慮が現場で止まるのか

低賃金・高負荷職場に残る旧慣行

制度が明確になっても、運用が進みにくい理由の一つは、妊娠中の労働者が多い職場ほど、業務設計に余白が少ないことです。CDC傘下のNIOSHは、妊娠中の高い身体負荷として、重い物の持ち上げ、長時間の立ち仕事、前かがみ動作の反復を挙げています。こうした負荷は流産や早産の可能性を高めるおそれがあり、筋骨格系のけがや転倒リスクも増やします。とくに医療、製造、サービス、保育、農業などはリスクが高い職種として列挙されています。

問題は、そうした職場で必要になる配慮が、実は「軽い」のに、オペレーション上は嫌われやすいことです。例えば、レジ係にスツールを置く、倉庫作業の持ち上げ上限を一時的に下げる、診察時間に合わせて出勤を少し遅らせる、といった対応は費用負担が重いわけではありません。しかし、人手を分単位で切り詰め、現場監督者に広い裁量を持たせる職場では、例外処理そのものが敬遠されがちです。そこで「全員同じルール」「制限付きなら働けない」という旧来の発想が残り、法律が想定する対話型の調整が省略されます。

2024年にA Better Balanceが公表したSpeedwayの事案は、その典型です。同団体によると、7-Eleven傘下のコンビニチェーンで働くKristen Crandall氏は、妊娠に伴う疲労や吐き気に対応するため、座るためのスツールと勤務調整を求めましたが、認められず、結果的に無給休職へ追い込まれたとEEOCに申立てました。同団体はさらに、別の従業員Arya Parks氏についても、休憩を求めた結果、無給休職に追い込まれたとしています。真偽は今後の手続きで詰められるべきですが、争点が「座る」「休む」という基本配慮に集中している点は象徴的です。

休職の強制と生産性指標の圧力

もう一つの壁は、配慮申請の処理手順そのものです。雇用主が申請を受けると直ちに代替業務を考えるのではなく、まず書類提出や審査待ちを理由に労働者を無給休職へ回す慣行が残っています。EEOCが2024年と2025年に起こした複数のPWFA訴訟をみると、このパターンが繰り返し現れます。

2024年9月のWabash National訴訟では、EEOCは、腹ばいになる必要のない配置転換を求めた妊娠中の従業員が、代わりに無給休職を強いられ、最終的に退職に追い込まれたと主張しました。同月の別件では、オクラホマ州の医療機関が、高リスク妊娠の従業員に対して、座る、休憩を取る、短時間勤務にするといった配慮を認めず、無給休職を強いたとEEOCは訴えています。さらに2025年9月には、シカゴ地域のR&L Carriersと介護施設Prairie Greenに対し、20ポンドの持ち上げ制限があった妊娠中の従業員に休職を強要した、または解雇したとして、EEOCが提訴しました。

こうした構図は、Amazonをめぐるニュージャージー州の2025年10月の訴状で、より大規模なかたちでも現れています。州司法長官らは、Amazonが州内で約5万人の倉庫労働者を抱える中、妊娠中の労働者や障害のある労働者を相手に、必要な配慮を与えず、申請中に自動的に無給休職へ置き、時には申請直後に処分や解雇へ進めてきたと主張しました。訴状では、厳格な生産性指標が配慮を受けた労働者にも一律に適用され、結果として退職圧力になっているとも指摘されています。これは単発の不祥事というより、配慮制度と数値管理が正面衝突していることを示す事案です。

執行強化と今後の焦点

EEOC訴訟と州当局の監視

制度が空文化しているわけではありません。EEOCは2024会計年度の報告で、PWFAを含む申立てを数千件受理し、5件のPWFA訴訟を提起したと明らかにしました。2025年末には、フロリダ州で妊娠中の従業員2人の案件について、EEOCが合計13万5000ドルの和解金を回収したとも公表しています。これは、法律違反が疑われる行為に対して、連邦当局が単なる啓発ではなく、訴訟と金銭救済で対応し始めたことを意味します。

また、州当局も動いています。ニュージャージー州のAmazon訴状は、同州の妊娠労働者保護法が、トイレ休憩、水分補給のための休憩、定期的な休息、手作業の補助、勤務再編、より軽い仕事への一時配置転換を、妊娠中の労働者に対する典型的な合理的配慮として明示していると改めて示しました。連邦法だけでなく州法の執行も重なれば、全米企業は州ごとに最低基準を読み替えるのではなく、全国共通でより高い標準を採る圧力を受けます。

ここで見落とせないのが出産後の保護です。PWFAは出産後の回復や関連医療条件にも及びますが、搾乳の時間と空間については、2022年12月29日に成立したPUMP Actも重要です。米労働省によれば、多くの労働者は出産から1年以内であれば、必要な搾乳休憩と、浴室ではないプライベートな場所を受ける権利があります。妊娠中の配慮だけ整えても、出産後に休憩や搾乳スペースがなければ就労継続は難しくなります。企業の実務では、PWFAとPUMP Actを一体で整備する必要があります。

制度の安定性と運用の分岐

ただし、制度の見通しが完全に安定したわけではありません。EEOCの最終規則には約10万件の意見が寄せられ、2025年以降も法の成立手続きや規則解釈をめぐる訴訟が続いています。象徴的なのがテキサス州による争いで、米第5巡回区控訴裁判所は2026年5月にTexas v. Bondiを大法廷で再審理する予定です。争点はPWFAの成立過程をめぐる憲法論ですが、企業から見れば「まだ揺れている法律」という印象を与え、導入のスピードを鈍らせる可能性があります。

もっとも、現場で多い争点はイデオロギーより実務です。問題の大半は、妊娠中の労働者に椅子を出すか、休憩を認めるか、診察に行けるようにするか、一定期間だけ持ち上げ制限を認めるか、といった運用の基本に集中しています。したがって、今後の分かれ目は、企業の本社が法務部門で方針を理解することではなく、店長、現場監督者、人事担当者が「申請を受けたらまず対話し、休職ではなく就労継続策を探す」という順序を徹底できるかにあります。

PWFA違反可視化と小売・物流の実務摩擦

このテーマでよくある誤解は、PWFAができたことで妊娠中の職場問題はすでに解決した、という見方です。実際には逆で、制度が明確になったからこそ、違反のかたちが見えやすくなりました。無給休職の強制、過剰な診断書要求、遅い審査、配慮を受けても変わらない生産性ノルマなど、問題はより具体的に可視化されています。

今後の見通しは二層構造です。第一に、連邦・州の執行は強まりやすいです。訴訟、和解、ガイダンスが増えれば、企業のコンプライアンス水準は底上げされます。第二に、実務の摩擦はなお続きます。とくに小売、物流、医療、介護、飲食のようにシフトが密で、現場の代替要員が少ない業種では、配慮を業務設計へ織り込めるかが最大の課題になります。法律の有無より、現場の設計思想が問われる局面に入ったとみるべきです。

PWFA基本配慮と休職運用の残課題

米国のPWFAは、妊娠中の労働者を「例外扱いの対象」から「合理的配慮を受ける権利主体」へ押し上げた点で大きな前進です。とくに、座る、水を飲む、食べる、休むといった基本配慮を、ほぼ常に認められるものとして明文化した意義は大きいです。

それでも現場では、申請を受けた瞬間に休職へ回す発想や、数字優先の運用が根強く残っています。SpeedwayやAmazonを巡る事案、EEOCの提訴や和解は、その摩擦がまだ続いていることを示しています。今後の焦点は、法律の理念をめぐる抽象論ではありません。妊娠中の労働者が、収入を失わず、健康も損なわずに働き続けられる職場を、日々の運用で本当に作れるかどうかです。

参考資料:

村上 詩織

移民・難民・教育格差

移民・難民・教育格差など、社会の周縁に置かれた人々の声を丁寧に取材。制度と現実のギャップを浮き彫りにする。

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