イランの情報戦とAI偽情報が変える戦争の姿
はじめに
2026年2月28日に始まった米国・イスラエルによるイラン攻撃(オペレーション・エピックフューリー)は、軍事的な衝突にとどまらず、史上初の「AI時代の本格的情報戦」を引き起こしています。イランは物理的な軍事力では劣勢に立たされながらも、AIが生成したディープフェイク動画や偽画像を駆使した大規模な情報操作キャンペーンを展開し、国際世論に大きな影響を与えています。
調査会社Cyabraの分析によると、イラン側の偽情報キャンペーンはわずか2週間で1億4,500万回以上の閲覧数を記録しました。本記事では、この前例のない情報戦の実態、使われている技術、そしてその国際的な影響について解説します。
AIディープフェイクが塗り替える戦場の「現実」
大量生産される偽の戦闘映像
今回の紛争では、AI生成コンテンツの規模と精巧さが従来の紛争報道を根底から覆しています。報道によれば、2週間で110件以上のユニークなディープフェイク映像が確認され、そのほとんどがイラン側に有利なメッセージを発信するものでした。
具体的には、イランのミサイルがテルアビブ中心部に着弾する映像、バーレーンの高層ビルから煙が上がる映像、さらにはトランプ大統領がミサイル攻撃から逃げ惑う映像まで、さまざまなAI生成コンテンツが拡散されました。中にはビデオゲームの映像を流用したものもあり、イランのミサイルが米国戦闘機を撃墜する映像としてX上で7,000万回以上再生されたケースもあります。BBC Verifyの検証により、この映像は軍事シミュレーターのゲーム画面だったことが判明しています。
組織的な拡散ネットワーク
Cyabraの調査は、この偽情報キャンペーンの組織的な性質を明らかにしました。数万規模の偽アカウントがTikTok、Facebook、X、Instagramなどのプラットフォーム上で連携し、AI生成コンテンツを同時多発的に拡散していたのです。関与したアカウントの19%が不正なアカウントであり、同一のキーワードやハッシュタグの使用、投稿タイミングの同期、コンテンツの反復配信といった、中央集権的な指令に基づく活動の特徴が確認されています。
このキャンペーンの目的は一貫しています。イランを紛争における支配的かつ勝利する勢力として描き、敵対国を弱体で敗北した存在として印象づけることです。
インターネット遮断が生む「情報の真空」
史上最大規模のネット遮断
イランの情報戦を理解するうえで欠かせないのが、イラン国内で続く大規模なインターネット遮断です。2026年1月の反体制デモをきっかけに始まった遮断は、2月28日の攻撃開始後さらに強化され、推定9,200万人の市民がインターネットから切り離されました。3月時点での接続状況は通常の約1%にまで低下しています。
Human Rights Watchは、このインターネット遮断が市民の権利を侵害し、民間人へのリスクを高めていると指摘しています。遮断により、ジャーナリストや人権団体による現地の実態把握は極めて困難になっています。
「デジタル孤立」の戦略的意図
イラン政府は「絶対的デジタル孤立」と呼ばれる長期計画を推進しています。調査組織Filterwatchが公開した機密文書によれば、イランのインターネットインフラを「兵舎インターネット」へと変革し、セキュリティクリアランスを持つ個人や組織のみが外部接続を許可される仕組みへの移行が進められています。
一方で、「ホワイトSIMカード」と呼ばれる特権的な回線が存在し、政府関係者はXやTelegram、Instagramといったブロックされたプラットフォームに直接アクセスできます。つまり、国内の情報を遮断しながら対外的な情報発信は維持するという、二重構造の情報統制が実施されているのです。
この情報の真空状態こそが、偽情報が急速に拡散する温床となっています。現地からの市民映像が存在しない環境では、AI生成コンテンツや国家主導のプロパガンダが「唯一の情報源」として機能してしまいます。
国際的な増幅ネットワークと米国世論への影響
ロシア・中国との連携による情報拡散
イランの情報戦は単独で行われているわけではありません。ロシアと中国の国営メディアや情報ネットワークが、イランが生成した偽情報を増幅する役割を果たしています。この構造は「権威主義メディアの教科書」とも評され、イラン・ロシア・中国・北朝鮮の連携により、技術のベストプラクティスの共有と反西側プロパガンダの相互増幅が行われています。
元NSAアナリストのトラヴィス・ホーリー氏の分析では、X上で「Global Insight Journal」というアカウントが、トルコでの「種まき」、イランによる「ブースト」、ロシアによる「増幅」という三段階の戦略で組織的に偽情報を拡散していたことが明らかになっています。このアカウントは紛争開始のわずか数週間前に認証を取得しており、計画的な準備が行われていたことを示唆しています。
米国の反戦世論への働きかけ
France 24の報道によれば、イランの情報操作キャンペーンの主な目標は、米国内の反戦感情を高め、トランプ大統領に紛争終結を迫る圧力を生み出すことです。スコットランド独立を支持していたアカウントが突然親イランの戦争報道に転じるなど、既存のソーシャルメディアアカウントが巧妙に転用されている事例も報告されています。
専門家の分析では、イランは「米国やイスラエルよりも幅広い視聴者にリーチし、本来得られるよりも多くの支持を獲得することにかなり成功している」とされています。ディアスポラ(在外イラン人)コミュニティ、グローバルサウスの連帯ネットワーク、反戦左派といったターゲット層に対して、戦略的にコンテンツが配信されています。
注意点・今後の展望
ファクトチェックの限界と課題
今回の情報戦で浮き彫りになったのは、既存のファクトチェック体制の限界です。イーロン・マスク氏のxAIが開発したGrokですら、テルアビブへの攻撃を描いたとされるバイラル動画が合成であることを見抜けなかったと報じられています。AI生成コンテンツの精巧さは日々向上しており、人間の目視だけでは真偽の判別が困難な状況になりつつあります。
NewsGuardなどのファクトチェック組織が検証活動を行っていますが、偽情報の生成速度に対して検証のスピードが追いついていないのが現状です。
「AI時代の戦争」がもたらす構造変化
今回の紛争は、研究者が「初の真にAIネイティブな紛争情報環境」と呼ぶものを生み出しました。軍事的に劣勢な国家が、AI技術を活用することで情報空間において対等あるいは優位に立てるという新たな非対称戦争の形が示されています。
今後、AIによる偽情報生成技術がさらに発展するにつれ、紛争時の情報環境はますます混沌としたものになることが予想されます。プラットフォーム企業、政府、市民社会それぞれに、AI生成コンテンツへの対応策の構築が急務となっています。
まとめ
2026年の米イスラエル・イラン紛争は、AI技術が戦争の情報面をいかに根本的に変えうるかを示す歴史的な事例となっています。イランはインターネット遮断によって国内情報を統制しつつ、AIディープフェイクを活用した対外情報戦を展開し、ロシア・中国との連携で国際世論への影響力を行使しています。
私たちが日常的に接する戦争報道の中に、AI生成の偽情報が紛れ込んでいる可能性は極めて高い状況です。情報の真偽を判断する力、複数の信頼できるソースで確認する習慣が、これまで以上に重要になっています。
参考資料:
- Cyabra - Iran’s Coordinated Campaign: Deepfakes Used to Manipulate the War Narrative
- France 24 - Iran targets US public opinion with online information war
- FDD - Deepfakes on the Front Lines: Iran’s AI Disinformation Campaign
- Euronews - Did you spot these fake videos about the Iran war?
- Human Rights Watch - Iran: Internet Shutdown Violates Rights, Escalates Risks to Civilians
- CNN - Fake, AI-generated images and videos of the Iran war are spreading on social media
テクノロジー・サイエンス
宇宙開発・AI・バイオテクノロジーなど最先端の科学技術を、社会的インパクトの視点から読み解く。技術と倫理の交差点を追い続ける。
関連記事
イランが突いたAI遠隔戦争の盲点、地理と防空が残す制約の正体
AIによる標的識別の進歩でも消えない、イランの地理、地下施設、防空網が示す遠隔打撃の限界
トランプ氏のイラン戦争発言が招く信頼危機
トランプ大統領がイラン戦争について繰り返す虚偽発言の実態と、それが米国の安全保障や国際社会に与える深刻な影響を独自調査で解説します。
イラン核合意とは何か、制限と破綻が招いた中東危機の深層を分析
2015年のイラン核合意は、濃縮度3.67%、低濃縮ウラン300キロ、IAEA監視を柱に核開発を遅らせる枠組みでした。米離脱、イランの段階的違反、国連制裁復活、米イスラエル攻撃後のトランプ政権による新交渉まで、フォルドゥ、アラク、スナップバックの仕組みを踏まえ、制度崩壊と中東危機の構図を詳しく読み解く。
イラン通信遮断50日で露呈した階層化ネットと統制国家化の実像
イランでは2月28日の再遮断から4月19日で50日超。接続は戦前比1%前後に落ち込み、一部企業や政権寄り発信者だけが国際回線へ戻る「階層化ネット」が現実味を帯びています。NIN、white SIM、報道統制、18億ドル規模の経済損失推計が示す統治モデルの変化と、市民生活・企業活動・報道空白への波及を解説。
中国がイラン戦争で軍事関与を拡大か、米情報機関の分析が示す実態
米情報機関は、中国がイランに携行式防空ミサイルを出荷した可能性を示す情報を入手。停戦合意からわずか数日で浮上した武器供与疑惑は、脆弱な停戦体制を揺るがしかねない。超音速対艦ミサイルCM-302の供与交渉やAI企業による米軍追跡など、停戦仲介者と軍事支援者の二つの顔を持つ中国の戦略と中東情勢への影響を読み解く。
最新ニュース
FEMA改革案で連邦災害支援縮小へ、州負担増と議会攻防の焦点
トランプ政権のFEMA見直し評議会が、連邦災害宣言の対象縮小や給付迅速化、洪水保険改革を提言。州・部族への責任移転は救援を早める一方、財政力の弱い地域に負担を集中させる恐れがあります。年23件規模の高額災害が続く米国で、現行制度の75%負担やNFIP債務、議会承認と災害安全網の行方の核心を読み解く。
AI検索が旧来Google検索を超える五つの実用場面と注意点
GoogleのAI Modeは、複雑な比較、画像検索、買い物、詐欺判定、深掘り調査で旧来検索の手間を減らします。Shopping Graphの500億件超の商品情報やFTCの詐欺統計を踏まえ、日本の利用者にも関係するAI検索を使うべき場面、誤答を防ぐ確認手順、個人データ連携時の注意点を実践的に解説。
健康情報SNS化の現在、インフルエンサー信頼と誤情報の境界線
米国では成人の40%、50歳未満の半数がSNSやポッドキャスト由来の健康助言に触れる。Pew調査で見えた資格表示、広告、誤情報のリスクをもとに、医師や栄養士だけでなくコーチや起業家も発信する市場で、読者がどの情報を参考にし、どこで専門家に戻るべきか、TikTokとInstagram時代の実践的な読み方を解説。
米国転移性肺がん半数未治療、分子標的薬時代に残る医療格差の壁
JAMA Oncologyの新研究は、米国の転移性非小細胞肺がん患者の約半数が全身治療を受けていない実態を示した。2026年に約22.9万人の肺がん新規診断が見込まれるなか、免疫療法や分子標的薬が専門医紹介、90日以内死亡、検査、社会的支援の不足で届かない構造と、日本の医療にも通じる対策を読み解く。
米国債務GDP超え、トランプ政策で膨らむ金利負担と財政リスク
米国の公的債務はGDPを上回る水準に達し、CBOは2036年にGDP比120%へ上昇すると見込む。大型減税、関税、移民政策、金利上昇は歳入と成長率を揺らし、利払い費を国防費並みに押し上げる。財政悪化が国債市場と家計に波及する経路を、日本の投資家にも重要な為替と金利への視点を含めて最新データで読み解く。