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米国で麻疹が再燃 ワクチン不信が招く公衆衛生の危機

by 長谷川 悠人
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米国麻疹再燃と排除ステータス危機

米国で麻疹(はしか)が猛威を振るっています。2025年には年間2,288件の感染が確認され、2000年に麻疹の「排除」が宣言されて以降の最悪記録を更新しました。2026年に入っても勢いは衰えず、4月23日時点で1,792件に達し、37の州・管轄区域に拡大しています。

この事態の背景には、MMRワクチン接種率の継続的な低下、ワクチン懐疑主義の政治的拡大、そしてロバート・F・ケネディ・ジュニア(RFK Jr.)保健福祉長官による連邦ワクチン政策の大幅な転換があります。米国は今、四半世紀にわたって維持してきた麻疹排除ステータスを失う瀬戸際に立たされています。本記事では、米国政治と公衆衛生政策の交錯という視点から、この危機の構造と今後の見通しを分析します。

数字が語る危機の深刻さ

感染拡大の全体像

CDCのデータによれば、2025年1月から2026年4月初旬までの累計感染者数は4,000件を超えました。これは2001年から2022年までの22年間の合計(4,056件)にほぼ匹敵する数字です。2025年単年の2,288件は、1991年以来の最多記録となりました。

感染者の約93%はワクチン未接種か接種歴不明の人々です。2025年には感染者の約69%が小児・10代であり、子どもたちが最も大きな影響を受けています。2025年には3名の死亡が確認されており、テキサス州では約10年ぶりに小児の麻疹による死亡例が報告されました。

サウスカロライナ州の大規模アウトブレイク

最も深刻な事態が起きているのはサウスカロライナ州です。2025年10月にスパータンバーグ郡で始まったアウトブレイクは、2026年4月21日時点で997件に達しました。感染者の95%がワクチン未接種または接種歴不明であり、90%が小児です。

スパータンバーグ郡の学校におけるMMRワクチン接種率は88.9%と、州平均の93.7%を下回っています。低接種率のコミュニティが集中する地域で爆発的に感染が広がり、約24の学校で隔離措置が取られました。感染はノースカロライナ州にも飛び火し、州境を越えた拡大が確認されています。

ワクチン接種率低下の構造的要因

「95%の壁」を割り込んだ全米の接種率

麻疹ウイルスの感染力は極めて強く、集団免疫を維持するには人口の95%以上がワクチンを接種している必要があるとされています。しかし米国の幼稚園児のMMRワクチン接種率は、2019〜2020年度の95.2%から2024〜2025年度の92.5%へと低下し、5年連続で95%の基準を下回りました。

州ごとの格差も顕著です。コネチカット州の98.2%に対し、アイダホ州は78.5%と約20ポイントの開きがあります。接種率が95%を超えている州はわずか10州にとどまり、テキサス西部、ニューメキシコ南部、アリゾナ北部、ミシシッピ州、南東部の農村地域などで特に低い接種率が確認されています。

パンデミック後遺症と反ワクチン運動の融合

接種率低下の背景には複数の要因が絡み合っています。COVID-19パンデミック期の定期接種の中断がまず下地を作りました。そこに、ソーシャルメディアを通じた反ワクチン情報の拡散が重なります。

注目すべきは「MAHA(Make America Healthy Again)」運動の影響です。KFFとワシントン・ポストの調査によれば、MAHA支持の親もそうでない親も、約9割がMMRワクチンを「地域の子どもにとって重要」と認識しています。しかしMAHA支持の親は、MMRワクチンが自閉症を引き起こすといった誤情報を信じる割合が高い傾向にあります。

一方で、実際のアウトブレイクを目の当たりにした一部の親が考えを改め、MMRワクチン接種に踏み切るケースも報告されています。テキサス州で2人目の未接種児が麻疹で死亡したことが、反ワクチン・コミュニティ出身の母親にとって「転換点」になったという事例もあります。

ケネディ保健福祉長官の政策転換とその波紋

CDC諮問委員会の解体と再編

RFK Jr.が保健福祉長官に就任して最初に行ったのは、CDCの予防接種諮問委員会(ACIP)の全委員17名の解任でした。代わりに任命された7名の新委員の中には、ワクチンの害を誇張し効果を過小評価してきた経歴を持つ人物が含まれていました。

2026年3月、連邦地裁のブライアン・マーフィー判事はACIPの再編が違法であるとの判断を下しました。しかしケネディ長官はこれに対し、ACIPの設立趣意書(チャーター)を書き換えるという手段で対抗しました。新チャーターでは委員会の権限範囲が大幅に拡大され、「地理的バランス」や「毒物学、消費者問題」といった従来にない分野が追加されました。非投票権のある連携メンバーには、「インディペンデント・メディカル・アライアンス」や「インフォームド・コンセントのための医師会」など、ワクチン懐疑派と関係の深い団体が加わっています。

ワクチンスケジュールの縮小

CDCは、ACIPでの事前審議を経ないまま、定期接種の対象疾患を17から11に削減しました。ロタウイルス、インフルエンザ、A型肝炎がスケジュールから外れたとされています。さらにACIPの新体制は、B型肝炎の出生時接種の廃止、麻疹・おたふく風邪・風疹・水痘の混合ワクチン接種時期の延期、6カ月以上を対象としたCOVID-19ワクチンの推奨撤回を決議しました。

議会での追及と責任回避

2026年4月、RFK Jr.は上下両院の複数の委員会で計7回の公聴会に臨みました。上院財政委員会のロン・ワイデン議員は「ロバート・ケネディは、一生に一度のプラットフォームを使って、親たちに自分自身と医師を疑わせてきた」と批判しました。これに対しケネディ長官は「私はワクチン反対派だったことは一度もない」と繰り返し主張しましたが、保健福祉長官就任以前の長年にわたる反ワクチン活動との矛盾を多くの議員や専門家から指摘されています。

麻疹の「見えないリスク」と経済的負担

合併症の深刻さ

麻疹は単なる発疹の病気ではありません。CDCによれば、感染した子どもの約1,000人に1人が脳炎を発症し、聴覚障害や知的障害につながる可能性があります。さらに深刻なのが、亜急性硬化性全脳炎(SSPE)と呼ばれる合併症です。

SSPEは麻疹感染から6〜8年後に発症する進行性の脳疾患で、知的機能の低下、筋肉の不随意運動、けいれん、失明を引き起こし、ほぼ確実に1〜3年以内に死に至ります。麻疹に感染した10万人あたり4〜11人がSSPEを発症するとされ、2歳未満で感染した場合にリスクが最も高くなります。つまり、現在のアウトブレイクで感染した子どもたちの中から、数年後にSSPEを発症する患者が出る可能性があるのです。

巨額の経済コスト

ジョンズ・ホプキンス大学の研究チームの推計によれば、2025年の麻疹再流行による経済的損失は約2億4,420万ドル(1件あたり約10万4,629ドル)に達します。コストの内訳は、接触者追跡・検査・曝露後ワクチン接種などのアウトブレイク対応活動が全体の65.2%を占め、欠勤・欠席による生産性損失が32.1%、直接的な医療費は3.0%にとどまります。

さらに懸念されるのは将来予測です。MMR接種率が毎年1%ずつ低下するシナリオでは、2030年には年間感染者数が17,232件、入院4,085件、死亡36件に達し、年間コストは15億ドル、5年間の累計では78億ドルに上ると試算されています。

排除ステータス喪失の現実味と今後の展望

PAHO審査の延期が意味すること

米国は2000年に麻疹の「排除」を達成しましたが、その地位が今、揺らいでいます。汎米保健機構(PAHO)の審査委員会は当初2026年4月中旬に米国の排除ステータスを審査する予定でしたが、これを同年11月に延期しました。

排除ステータスの判断は、2025年の各州のアウトブレイクが「一つの連鎖的な国内伝播」なのか、「それぞれ独立した輸入例に由来する別個のアウトブレイク」なのかという技術的評価に左右されます。しかし、37の州・管轄区域に広がる現在の感染状況を見れば、排除ステータスの維持は極めて困難な情勢です。

回復への道筋

ワクチン接種率の回復には、政治的イデオロギーを超えた取り組みが求められます。接種率が低い地域での集中的なキャッチアップ接種キャンペーン、小児科医や地域の医療従事者を通じた信頼回復、そして連邦レベルでのエビデンスに基づくワクチン政策の再構築が不可欠です。

一筋の希望は、実際のアウトブレイクを経験した地域で接種率が上昇する傾向が見られることです。ワクチン懐疑派の親の中にも、目の前で子どもたちが感染する現実を突きつけられて考えを改める人々が出てきています。しかし、「感染を見てから動く」という対応では、防げたはずの死亡や重篤な合併症を許すことになります。

PAHO審査前の接種率回復と政策再建

米国の麻疹危機は、公衆衛生と政治の交差点で起きている構造的な問題です。ワクチン接種率の低下、ワクチン懐疑主義の政治的主流化、連邦ワクチン政策の転換という三重の要因が重なり、四半世紀かけて築いた麻疹排除の成果が崩壊しつつあります。

2026年11月のPAHO審査が一つの節目となりますが、排除ステータスの有無にかかわらず、米国の公衆衛生が深刻な転換点にあることは明白です。ワクチンで防げる病気による死亡や後遺症をこれ以上増やさないために、科学的根拠に基づく政策の再建と、地域レベルでの接種率回復への具体的な行動が急務となっています。

参考資料:

長谷川 悠人

米国政治・外交

米国政治の内幕を、ホワイトハウスから議会まで多角的に分析。政策決定のプロセスと日本への影響を鋭く読み解く。

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