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殺人減少でも削られる暴力予防資金 米治安政策の逆説構造を読む

by 村上 詩織
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はじめに

米国では、殺人や銃撃をめぐる見出しが依然として強い不安を呼びます。しかし、実際の統計を見ると足元の流れはかなり違います。FBIは2024年の全米殺人件数が前年比14.9%減だったと公表し、Council on Criminal Justiceは主要35都市の2025年殺人が2024年比で21%減ったと集計しました。犯罪が下がっているのに、予防のための資金は逆に縮小している。このねじれが、いまの米国の治安政策を理解するうえで最大の論点です。

とくに重要なのは、暴力の負担が均等に薄まっているわけではない点です。CDCは、地域暴力が人種隔離の強い高貧困地域に集中し、10歳から34歳の若者、とりわけ黒人とラティーノの若者に偏っていると説明します。暴力は命を奪うだけでなく、学校への通学、就労、医療アクセス、地域の信頼関係まで傷つけます。本稿では、犯罪減少の実像、コミュニティ暴力介入の役割、そして連邦資金の縮小が何を意味するのかを、数字と制度の両面から読み解きます。

犯罪減少の実像と見落とされる偏在

全米統計と主要都市データ

まず確認すべきは、最近の犯罪減少が一時的な印象論ではないことです。FBIの2024年統計では、暴力犯罪全体が前年比4.5%減、殺人は14.9%減、強盗は8.9%減、加重暴行は3.0%減でした。大都市ベースのCCJ集計でも、2025年の殺人は35都市平均で21%減り、件数では922件少なくなっています。2019年比でも25%低い水準で、2021年のピークからは44%低下しました。

この流れは一部の象徴都市でも確認できます。メリーランド州連邦検察の2025年1月発表によると、ボルティモア市の2024年の殺人は201件で、2021年比41%減でした。さらに2026年1月の同地区連邦検察発表では、2025年のボルティモア市の殺人は133件となり、1977年以来の最低水準に達しました。

ただし、この改善を単一の要因で説明するのは無理があります。パンデミック後の社会活動の正常化、警察の捜査体制、景気や雇用、学校再開、地域介入など、要因は複数絡みます。したがって、「犯罪が減ったのだから予防策はもう不要だ」と短絡するのも、「すべてが特定政策の成果だ」と言い切るのも、どちらも雑です。必要なのは、どの地域で、どの集団に、どの仕組みが効いているのかを丁寧に分けて考える姿勢です。

被害負担の偏在と生活基盤への打撃

犯罪全体が下がっても、暴力の重みは依然として深く偏っています。CDCのFastStatsでは、2024年の米国の殺人死亡は2万162人、そのうち銃器による殺人は1万5364人、人口10万人当たり4.5でした。BJSの2023年報告では、殺人被害率は全体で人口10万人当たり5.9ですが、黒人では21.3、白人では3.2で、黒人の被害率は白人の6倍超でした。減少局面に入っても、もともとの負担が大きい集団ほどなお高い水準に置かれています。

CDCは、地域暴力が「人種隔離の強い高貧困地域」で大きな被害を生み、若者、とくに黒人とラティーノの若者が過大な負担にさらされていると明記しています。10歳から24歳では殺人が死因の第2位、25歳から34歳では第3位です。毎年70万人超の若者が暴力による負傷で救急外来を受診し、地域暴力は教育、司法、医療の各制度に負荷をかけます。ここで失われるのは、単なる治安指標ではなく、学び続ける機会や働き続ける足場そのものです。

この点は、暴力を「個人の逸脱」だけでなく「生活条件の破綻」と結び付けて考える必要性を示しています。CDCは、経済的不安定、住宅・教育・医療へのアクセス不足、差別や構造的人種主義が暴力リスクを押し上げると説明します。つまり、予防とは警察の外側にある支援の話でもあります。学校と地域拠点、病院と就労支援、被害者支援とメンタルヘルスがつながって初めて、暴力の連鎖を弱められます。

予防を担うCVIの制度設計と現場機能

街頭仲裁、病院介入、就労支援の接点

ここでいう予防の中核が、Community Violence Intervention、つまりCVIです。DOJのCVIPIファクトシートによると、この枠組みは、暴力リスクの高い当事者に対して、街頭アウトリーチ、対立の仲裁、被害者支援、病院ベースの介入、就労やケースマネジメントなどを組み合わせるものです。2024年1月時点でOJPはCVIPIに約2億ドルを投じ、76のコミュニティを直接支援していました。小規模な地域団体が連邦資金にアクセスしにくい点を補うため、仲介団体を通じた再助成も組み込まれていました。

CDCの整理も同じ方向を示します。地域暴力の予防には、街頭アウトリーチや病院ベースの介入が、報復やエスカレーションのような「直近の危険」を下げるうえで重要であり、長期的には経済的安定や教育の質といった社会条件への対応を合わせる必要があるとされます。つまりCVIは、犯罪発生後の取り締まりだけでなく、暴力の直前と直後にいる人を支える「接点の制度」です。学校からこぼれた若者、退院後に報復リスクを抱える負傷者、家族を失った遺族など、通常の行政窓口に乗りにくい人ほど、この接点に依存しやすい構造があります。

この意味で、CVIは警察の代替ではなく補完です。FY24のCVIPI公募でも、地域CBO、自治体、州政府、仲介団体それぞれに別カテゴリーが設けられ、法執行と地域支援の協働を前提にしていました。行政だけでは届きにくい領域を、生活圏に根差した団体が埋める設計だったと言えます。治安を「取締り」と「支援」のどちらか一方で見るのではなく、両方の手を持つことが制度設計の要でした。

効果検証の到達点と限界

もっとも、CVIを万能薬のように語るのも危険です。NBERのREADI Chicago評価では、就労機会と認知行動療法、社会的支援を組み合わせた介入について、主要アウトカム全体では統計的に有意な改善が確認されませんでした。一方で、銃撃や殺人に関わる逮捕は65%減少し、このモデルに一定の有望性があるとも示されました。つまり、効果はあるとしても、どの指標で、どの期間で、どの対象に対して現れるのかを細かく見る必要があります。

CDCも、病院ベースの暴力介入プログラムが将来の暴力被害を減らし得ると整理しています。ただし、研究蓄積そのものはまだ厚いとは言えません。近年のスコーピングレビューでは、CVI評価の多くが逮捕や再受傷のような欠損指標に偏り、プロセス評価とアウトカム評価を併用した研究は4割弱にとどまると報告されています。予防の現場は、学校復帰、就労定着、地域参加、信頼回復のような変化も重要ですが、それらは短期の犯罪統計より測りにくいのです。

この評価上の難しさは、予防の否定材料というより、むしろ支援継続の根拠です。短期で数字だけを求めるほど、最も不安定で手間のかかる層は排除されやすくなります。暴力が集中する地域では、成果が出る前に関係を切らないこと自体が政策効果になる場面があります。教育や就労の経路から外れた若者にとって、継続的な伴走は統計には出にくいが不可欠な基盤です。

資金縮小が示す連邦政策の転換

拡大局面から縮小局面への反転

2024年までの連邦政府は、少なくとも制度上はCVIを拡大する方向にありました。DOJはBipartisan Safer Communities Actの施行2年時点で、暴力予防と介入の新規・既存プログラム向け資金が2022年から2026年にかけて総額14億ドル規模になると説明し、CVIPIだけでも追加資金94百万ドル超を実行したとしています。さらに2024年9月には、OJPが新たに8500万ドルのCVI関連助成を公表しました。公的資金が草の根団体へ流れ始めたことで、従来は地方慈善や単年度委託に頼っていた現場が、人材育成や評価体制に投資しやすくなっていました。

FY24公募の設計も、その方向をよく示しています。地域CBO自身が主申請者になれるカテゴリー、自治体向けカテゴリー、州政府カテゴリー、そして小規模CBOに再助成する仲介団体カテゴリーが並びました。これは、暴力予防の担い手を警察や自治体本体だけに限定せず、コミュニティ内部にいる「信頼を持つ実務者」を制度の表側に置く発想でした。暴力が起きる現場に最も近い人々を、例外的存在ではなく政策の正規の実装主体として扱っていたわけです。

2025年春の打ち切りと申請資格の再編

ところが2025年春、流れは大きく変わります。Vera Instituteによると、OJPは2025年4月に373件、総額8.2億ドルの複数年助成を打ち切りました。Reutersが分析した政府データでは、そのうちCVI関連は145件中69件、金額では1.58億ドルに達し、連邦の銃暴力予防資金の過半が失われたとされます。DOJ側の説明は「もはや当局の目標や優先事項を実現しない」というものでしたが、現場から見れば、ようやく育ち始めた人員と関係資本が途中で切られることを意味します。

制度設計の変化も見逃せません。FY25のCVIPI公募では、総額は約3460万ドルに縮み、申請資格は郡・市・部族政府やその他の地方政府、部族組織に限定されました。FY24で認められていた非営利団体や仲介団体の直接申請枠は消えています。草の根団体が完全に排除されたわけではありませんが、主申請者から下請け的なサブ受給者へ回る余地が大きくなりました。これにより、資金繰り、事務負担、発言力、事業継続性のすべてで小規模団体が不利になります。

この変更の影響は、単なる行政手続きの問題ではありません。地域で暴力介入を担う団体の多くは、黒人やラティーノの住民が多い地域で、過去の受刑経験や被害経験を持つスタッフを雇い、学校や病院、家族とつながりながら動いています。こうした団体は、制度の論理より生活の論理に近い場所で機能しています。直接資金が細るほど、最も届きにくい人たちへの支援から先に痩せていく可能性が高いのです。

注意点・展望

このテーマでありがちな誤解は二つあります。第一に、犯罪が減っているのだから予防資金はもう不要だ、という見方です。実際には、被害率は依然として特定の人種・地域・年齢層に集中し、学校離脱や就労不安定、トラウマの連鎖はすぐには消えません。第二に、予防策さえあればすべて解決する、という期待です。研究は有望性を示しますが、効果は対象、設計、実施力で大きく変わります。

今後の焦点は、連邦政府が何を「治安」と呼ぶかです。法執行中心の枠へ回帰すれば、短期の取り締まり指標は強化しやすくなりますが、暴力の前段階にある教育断絶、生活不安、報復連鎖への接点は弱まります。逆に、自治体や州が地域団体への直接支援を維持できれば、減少局面の成果を底打ちさせずに済む可能性があります。見るべき指標は、殺人件数だけではありません。誰が主申請者になれるのか、支援スタッフが雇い止めになっていないか、病院退院後や学校外の若者に支援が届き続けているかが重要です。

まとめ

米国の暴力犯罪は、少なくとも直近の統計では明確に減少しています。FBIの2024年データ、CCJの2025年大都市データ、そしてボルティモアの長期低下は、その方向を裏づけます。しかし、被害の集中はなお深く、黒人やラティーノの若者、高貧困地域の住民ほど大きな負担を背負っています。

そのため、いま問われているのは「犯罪が減ったか」だけではなく、「減少を支えた接点を維持するのか」です。CVIは万能ではありませんが、生活圏に根差した仲裁、退院後支援、就労接続、被害者支援を束ねる数少ない仕組みです。連邦資金の縮小と申請資格の絞り込みは、治安政策を再び行政と警察の内側へ閉じ戻す動きとも読めます。今後の議論では、数字の改善と同時に、誰の安全が守られ、誰の支援回路が失われるのかを見続ける必要があります。

参考資料:

村上 詩織

移民・難民・教育格差

移民・難民・教育格差など、社会の周縁に置かれた人々の声を丁寧に取材。制度と現実のギャップを浮き彫りにする。

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