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韓国救急医療危機 たらい回しを招く慢性的人手不足と地域偏在の構造

by 坂本 亮
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はじめに

韓国は、国民皆保険と高度な大病院網を備えた医療先進国として語られることが多い国です。実際、OECDの2025年国別プロファイルでは、人口1000人当たりの病床数は12.6床とOECD平均を大きく上回ります。しかし、その同じ国で、救急車が何度も受け入れ先を探し、患者が搬送先を転々とする事態が繰り返し問題化してきました。

この矛盾は、一時的な混乱だけでは説明できません。背景には、医師数の不足、都市部の大病院への患者集中、地域医療の弱体化、そして救急医療を担う診療科ほど採算が取りにくいという制度設計があります。この記事では、2024年の専攻医離脱で顕在化した混乱を入り口に、韓国の救急医療危機がなぜ起きたのか、2026年時点で何が変わり、何がまだ変わっていないのかを整理します。

設備大国と人員小国の逆説

病床の多さと医師不足の同居

韓国の医療システムを理解するうえでまず押さえるべきなのは、設備量と人員量のねじれです。OECDの2025年国別プロファイルによると、韓国の人口1000人当たり practising doctors は2023年時点で2.7人にとどまり、OECD平均の3.9人を下回ります。その一方で病床数は12.6床と、OECD平均4.2床の約3倍です。つまり、建物とベッドは多いのに、そこを安定的に回す医師が相対的に少ない構図です。

この構図は、平時には「受診しやすい医療」として見えます。OECDのアジア太平洋版統計では、韓国の年間医師受診回数は1人当たり15回超と高水準で、日本と並んで世界でも多い部類です。患者が病院を直接受診しやすく、医療アクセス自体は広いのですが、その反面、軽症も重症も大病院へ流れやすく、救急部門に過剰な需要が集まりやすいという副作用を抱えています。

韓国保健福祉部が2023年に公表した第4次応急医療基本計画は、この問題をかなり率直に認めています。同計画では、119救急隊の再搬送理由のうち「応急室の病床不足」が2021年に16.2%を占めたとし、重症救急患者の院内死亡率も2018年の5.7%から2022年には6.2%へ上昇したと説明しました。ベッド数が多い国でも、重症患者が必要な時間に必要な人材と手術・集中治療体制へつながらなければ、実効的な受け入れ能力は不足します。

大病院集中と救急外来の過密

韓国政府が繰り返し問題視してきたのは、重症患者を優先すべき救急室に、軽症や本来は他院でも対応できる患者が流れ込みやすいことです。2026年2月のCHOSUNBIZ報道では、2024年の救急室利用は784万4739件に達し、韓国トリアージ・アキュイティ尺度でレベル4が31.5%、レベル5が5.7%でした。最重症のレベル1は1.8%、レベル2は8.0%であり、軽症から中等症までを含む幅広い患者が救急外来へ集中している実態が見えます。

もちろん、軽症患者の利用だけを問題の原因にするのは不正確です。地方では夜間や休日に外来の代替となる受け皿が薄く、親が子どもの発熱で頼れる先が救急室しかない地域もあります。だから韓国保健福祉部は、第4次基本計画の中で、非応急患者の大病院応急室利用を減らす一方、月光子ども病院の拡充や24時間小児相談など、救急室以外の受け皿も増やす方針を示しました。問題は患者の「マナー」ではなく、地域で完結する一次・二次医療の弱さです。

この点を見落とすと、「患者が大病院に行きすぎるから混む」という単純化に陥ります。実際には、患者が大病院を選ぶのは、地方や中小病院で夜間・休日の対応能力に不安があるからでもあります。救急医療危機は、応急室だけの問題ではなく、普段の地域医療の弱点が最後に噴き出す場所だと考えた方が実態に近いです。

専攻医離脱で表面化した既存の脆弱性

ストライキ以前から進んでいた必須医療の空洞化

2024年の専攻医集団離脱は危機を一気に可視化しましたが、問題そのものはそれ以前から進んでいました。小児科、産科、外傷、救急など、当直負担が重く訴訟リスクも高い分野に医師が集まりにくい状況は、韓国で長く指摘されてきた構造問題です。保健福祉部は2025年の政策説明で、地域の必須医療を担う「地域拠点病院」への財政支援や、地域で長く働く専門医に月400万ウォンの手当を出す「Regional Essential Doctors」試行を打ち出しました。政府自身が、単に定員を増やすだけでは地方と必須診療科に人が残らないと認めた形です。

背景には報酬のゆがみもあります。保健福祉部は同じ2025年説明資料で、低補償の診療報酬構造を2027年までに解消し、2025年前半には手術、処置、麻酔など約1000項目の報酬引き上げを優先するとしました。裏返せば、それまでの制度では、救急や外科系のように手間と責任が重い領域ほど経営的に報われにくかったということです。救急室の受け入れ難航は、単なる現場判断ではなく、長年の報酬設計が生んだ人材配分の結果でもあります。

第4次基本計画でも、小児専門応急医療センターを8カ所から12カ所へ拡充する方針が示されました。これは、子どもの救急体制が平時から脆弱で、夜間・休日の診療空白が応急室集中を生んでいることを意味します。救急の危機を語るとき、大人の重症搬送だけでなく、小児や産科の受け皿不足が連鎖的に全体の負荷を高めている点も見落とせません。

2024年の専攻医離脱が示した搬送システムの弱さ

そうした脆弱な土台の上で起きたのが、2024年の専攻医離脱でした。韓国政府が医学部定員拡大を進めたことに反発し、多数の専攻医が現場を離れ、主要病院の救急部門は急速に逼迫しました。英ガーディアンは2024年2月、韓国政府が公衆保健危機警報を初めて最上位の「深刻」に引き上げ、約8400人の医師離脱が医療サービスに影響していると報じました。救急患者の受け入れ縮小や手術の延期が一斉に起きたのは、この段階です。

混乱の大きさをよく示すのが、救急車の再搬送データです。AJU Pressは、2024年2月1日から8月25日までの間に、全国20病院で受け入れを断られるなどして別の病院を探す必要があった救急車が1197件に上り、前年同期比で131%増えたと報じました。これは一部病院ベースの集計ですが、現場の119隊員が「病院はあるのに受け入れ先が見つからない」という事態に直面していたことを端的に示します。

一方で、統計はやや逆説的です。聯合ニュース英語版によると、専攻医離脱が続いた2024年2〜7月の救急室入院・治療件数は前年同期比17%減の343万件で、治療中死亡も3.4%減の2万7176人でした。数字だけ見れば改善にも見えますが、これは需要が減ったというより、軽症患者が受診を控えたことや、一部病院が診療を絞ったことの影響が大きいと読むべきです。受診件数の減少と搬送難の増加が同時に起きている以上、単純に「死亡が減ったから危機ではない」とは言えません。

韓国タイムズは2024年9月、複数の病院で救急室運営の縮小が続き、患者が搬送後も救急室外で待機する場面が常態化していると報じました。重要なのは、専攻医離脱が新たな危機を一から作ったのではなく、もともと綱渡りで回っていたシステムの余裕を奪い、見えにくかった弱点を一気に露出させたことです。だから2025年に政治対立がやや緩和しても、救急医療危機そのものは自動的には解消しませんでした。

制度改正の前進と未解決課題

2026年に始まった搬送ルールの再設計

2026年に入ってから韓国政府が急いだのは、まず搬送の「ランダムさ」を減らすことでした。CHOSUNBIZによると、保健福祉部と消防当局は2026年3〜5月、光州、全北、全南で、重症患者の受け入れ先を119隊員ではなく広域応急医療状況室が直接指定するパイロット事業を始めました。政府はこれを、いわゆる「応急室ピンポン」を減らすための第一歩と位置づけています。

同日の別報道では、政府自身がこの仕組みを「完全な解決策ではなく、合意のない混乱を減らすための第一歩」と説明しました。ここが重要です。搬送指令の司令塔を明確にしても、受け入れ病院側に手術室、ICU、当直専門医が足りなければ、最終治療能力は増えません。つまり、搬送ルールの再設計は必要条件ですが、それだけでは十分条件になりません。

もっと言えば、これまでの問題は119と病院の連携不足だけではなく、「どの病院が何を24時間できるのか」が外から見えにくかったことにあります。地域ごとの役割分担が曖昧なまま、現場の電話と人脈で受け入れを探す運用が続けば、患者の重症度より先に運やタイミングが結果を左右してしまいます。今回の改革は、その不透明さを制度的に削る試みとしては意味があります。

最終治療能力の可視化と人材再配置の限界

より踏み込んだのが、2026年2月27日に示された施行規則改正案です。CHOSUNBIZによれば、韓国政府は地域・地方応急医療センターに対し、24時間の手術対応、ICU確保、CTやMRIなどの常時運用、空床数や呼び出し体制、患者を受け入れられない理由のリアルタイム報告を義務づける方向を打ち出しました。地域センターには応急専用一般病床30床以上、応急専用ICU20床以上を求めるなど、単なる「看板」ではなく実際の最終治療能力を問う内容です。

同じ報道では、全国に44の地域応急医療センターと137の地方応急医療センターがある一方、追加専門医の基準を「1万人増ごとに1人」から「5000人増ごとに1人」へ厳格化したと説明されています。これだけ見ると大幅増員のようですが、政府は別の記事で、これは新規大量採用ではなく既存人員の再配置として理解してほしいと述べました。ここに現在の限界があります。厳しい基準を作っても、供給される医師が同時に増えなければ、指定病院の機能は上がっても、周辺病院の空洞化が進む可能性があるからです。

加えて、法の建付けと現場の運用のずれも残ります。韓国の応急医療法は、正当な理由なく応急医療を拒否したり回避したりしてはならないという原則を置いています。しかし現場では、病床不足、当直医不在、手術室の即応不能といった「能力不足」が正当事由として積み上がり、結果的に患者は受け入れ先を失います。法が禁じるのは恣意的な拒否ですが、現場で起きているのは、制度上は違法と断じにくい能力不足による拒否です。ここが解決を難しくしている核心です。

注意点・展望

韓国の救急医療危機をめぐっては、「専攻医ストだけが原因」「医師定員を増やせばすぐ解決」「患者の大病院志向が悪い」といった単純化が広がりやすいです。実際には、ストライキは危機を悪化させた直接要因ですが、その前から必須医療の空洞化と地域偏在は進んでいました。定員拡大も必要な手段の一つですが、地方勤務の誘因、低補償の是正、法的リスクの整理、夜間休日の外来受け皿整備を伴わなければ、都市部の人気診療科へ人が流れるだけで終わる可能性があります。

今後の焦点は三つです。第一に、広域状況室とリアルタイム空床情報の運用が、現場の「電話で探す医療」からどこまで脱却できるかです。第二に、指定センターの要件強化が単なる看板の整理にとどまらず、地方でも実際の手術・ICU能力の底上げにつながるかです。第三に、報酬改革と地域定着策が、救急、小児、産科、外傷といった不人気だが不可欠な分野へ人を戻せるかです。2026年の制度改正は前進ですが、本丸はまだ人材と地域医療の再建にあります。

まとめ

韓国の救急医療危機は、世界水準の設備を持ちながら、必須医療を支える人材と地域ネットワークが細ってきた結果として理解するのが適切です。病床は多くても医師密度は低く、患者は大病院へ集中し、夜間休日の地域受け皿は弱いままです。そこへ2024年の専攻医離脱が重なり、救急車の再搬送や応急室待機が一気に可視化されました。

2026年の韓国政府は、広域状況室による搬送統制、リアルタイム空床報告、センター指定基準の厳格化で「無作為なたらい回し」を減らそうとしています。ただし、政府自身が認める通り、それは完全な解決ではありません。韓国の救急医療危機の本質は、搬送ルールの不備だけでなく、地方と必須診療科を支える人材と報酬の不足にあります。今後の成否は、制度改正が現場の人員再建までつながるかどうかにかかっています。

参考資料:

坂本 亮

テクノロジー・サイエンス

宇宙開発・AI・バイオテクノロジーなど最先端の科学技術を、社会的インパクトの視点から読み解く。技術と倫理の交差点を追い続ける。

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